やっと国道に戻って僕らは安心する。しかし小宮さんの家は、その国道からまた外れて海沿いにある。本当は僕の家から行くと山を一つ越えるだけで辿り着く、同じ山の東と西、という位置関係なのだけど、それは最後まで謂わないことにした。辿り着いて気がつくだろうけど。

オマケに国道は渋滞していた。丸亀から高松までを繋ぐ国道も浜街道も、整備されて道は広い。オマケに高速道路も通っているし、インターチェンジも増えた。だけど、高松から東、丸亀から西は未だに置いてけぼりを食らっている。狭い国道を、トラックも軽自動車も、営業車も泥だらけのRVも詰め込まれたように走っている。

といっても香川の渋滞など都会と比べるとたいしたことは無い。それに、ここまで来ると僕の庭みたいなモノで、僕は三好さんに迂回路をいくつかピックアップして伝えた。

前の座席が道順を選んでいる間、後ろはまだくだらない話を続けていた。

「当日まで美穂ちゃんのことは絶対秘密って、あれ、藤木との関係を隠す意味もあるんじゃないの?

上島さんが随分と嫌みなニュアンスを込めてそう言った。なんだか知らぬ間に、話題がとげとげしい響きを帯びていた。何の話からそうなったんだろう?

昔から、上島さんは時々、そんな感じで藤木さんを挑発する。わざと痛い所を突いて不機嫌にさせて楽しんでいるのだ。慣れっこの藤木さんも、だいたいはそれを分かって相手にしないのだけど、時々はそれが上手くいかないこともある。

「バカなこというなよ」

という言葉に、いつもと違う不機嫌さが滲んでいた。殺伐とした空気がいっそう深まる。

藤木さんは、こと音楽に関してがそうだけど、自分の真剣さをくすぐられると、簡単に機嫌を損ねる。熱くなっている自分の自覚があって、それに水を差されるのが嫌いなのだ。おそらく愛人云々で、国民的アイドルとの仲を勘ぐっているだけなら、そう腹も立てなかっただろう。

でも、上島さんのよけいな挑発は、ステージ構成にまで及んでいた。

当日のインパクトを最大限にするために、当日になるまで国民的アイドルのことは絶対に秘密、と僕らに何度も念を押した。三好さんは悦子さんにも言ってはいけないといわれ、僕は当然のようにモモちゃんや妹にもダメ、一号と一緒に住んでいるけど、家の中でその話題を出してもダメ。とにかく徹底した情報統制を、第一部のステージの為に厳命したのだった。

もちろんそれはみんな納得済みで、誰も異論は無かった。藤木さんの今回の為に考えた演出に、僕らが協力するのは当たり前だ。もちろん、音楽以外の客を呼ばない為もあるし、スキャンダルにしか興味の無いマスコミを寄せ付けないのも理由にはあるだろう。でも、藤木さんは第一義に、記憶に残るステージを想定しているのだ。

フュージティブの再結成と、明日菜ちゃんの思い出の為だ。このライブを最後に、明日菜ちゃんは香川から旅立つのだ。

だから、その話題はマズい、と僕は直感した。同じように、三好さんもそれを感じ取ったのか、チラリと僕を見た。藤木さんの最も勘所に障る部分を、上島さんは分かっていて敢えて、おちょくっている。大人げないと思いつつ、二人を宥められるのは、今この車内では三好さんだけだと冷静に分析する。

二人は結構な早口で、ごちゃごちゃと何か言い合っていた。その隙間が随分と狭くなってきた。売り言葉に買い言葉、で徐々にヒートアップしている。

「そもそも、おまえがくだらない事件を起こさなきゃ、恵子で決まりだったんだ」

藤木さんの声が一際荒っぽくささくれ立って響いた。

「俺のことがなくても、美穂ちゃんは呼んだんじゃないの?

へへへ、と上島さんは嫌な笑い方をした。相当退屈しているのだろう。一歩も引かない、というより、やばいラインを半分意図的に踏み越えようとしている。

「ライブに呼べば、公然と逢えるからなぁ」

そっぽを向いたフリをして、しっかり藤木さんにダメ押しをする。上島さん自身だって、そんなこと思ってないのに、その気になっている。上島さんにとっては、ただの遊びだけれど、戯れにしては相当なスリルをはらんでいる。

「おまえなぁ、まったく」

語気が荒い。藤木さんが本格的に後ろに身体を向けて、上島さんを睨んだのが、ルームミラーに映った。

上島、いい加減にしろ、と同じ台詞が、藤木さんと三好さんの声で重なった。やっと僕は後ろを振り向く。身を乗り出している藤木さんと、シートの後ろに逃げ込もうとしている上島さんの姿が見えた。

「まるで子供だな、二人とも」

三好さんが吐き捨てるように言って、あることを僕は思いだした。

その台詞はいつも恵子さんのモノだったなぁ、と。つい最近も聞いたような気もする。

バンドをやっている時も今みたいに、くだらないじゃれ合いが時々、つかみ合いの喧嘩に発展することがあった。その頃は、二人の間にはいつも恵子さんがいて、子供みたいな真似止めなさい、と二人を窘めるのだ。

その度に僕は、この二人がよくコンビで居られるものだ、と思った。

二人はお互いがお互いを補い合う、まさに名コンビだとは思う。それは、曲作りの時に藤木さんの作った音に、本当に絶妙のスパイスを上島さんが加える、その瞬間を何度も体験しているから実感として思うのだ。その逆もまた然りで、二人のセンスが交差した所に、必ずといってイイほど輝く音が存在していた。音楽から始まる感性の部分が、互いに惹かれ合い、また補っているのは間違いない。

その二人が何かの拍子に離れないようにつなぎ止める、接着剤のような立場が、恵子さんなんだと思うのだ。藤木さんも上島さんも、良きパートナー同士と認めているから、時々無意識に、また退屈紛れに、その関係を揺さぶりたくなるのだ。そしてそれは、恵子さんという緩衝材があるからこそ、ラインを踏み越えることも可能なのだ。

いわば二人には必然である恵子さんが、今回はいない。

二人の宥め役が、時々僕にまで回ってこようとする。そんな器量が僕にあるわけはない。

もし、危ないラインを踏み越えて、二人が仲違いしたとして、それを止める術がなかったとして、それがもたらす最悪の結末は、おそらくこのせっかくのライブを水の泡にしてしまうことだろう。少なくとも今、そういう事態になるのは、あらゆる方面に迷惑をかけることになるはずだ。もうその気になって動き出している人が、結構な数に上っている。僕だって、今回のライブの為に多くのことを犠牲にしてきた。

ただ、そんな僕のなかに、もしそういう事態になったら、煩わしさのいくつかからは逃れられるんじゃないか、と安堵する気持ちがないわけではなかった。ライブは楽しみだけど、どこかで面倒くさいと感じているのを自覚している。

別に今回に限ったことではなく、僕は時々胸躍る未来に進む為の努力を、ひどく面倒くさく感じることがある。八割方、希望は叶えられると分かっていても、そのために煩わしいいくつかの扉を開けなくてはいけない時、ドアノブを手にすることを躊躇する。簡単にそのドアは開くと分かっていても。

まだ着かねぇのかよ、と藤木さんは憤懣やるかたない気分を必死で押しとどめて、前の座席に毒づいた。さすがに上島さんは黙っていた。

もう少しで着きますから、と僕は言って、あ、そこを右です、と随分遠くにある信号を指さした。よっしゃ、と三好さんもそれに応えてくれる。

僕らは川沿いの土手の上を、ゆっくりとしたペースで車を走らせていた。

 

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