恵子の裸なら一度でイイから見てみたいよな、とそう言ったのはハンドルを握る三好さんだ。

だだっ広いラッゲトスペースを持つファミリーバンは、三好さんの愛車だった。昨夜は、バラしたドラムセットを、このクルマいっぱいに詰め込んでミーティングに現れた。このクルマはドラムを積む為に買ったようなもんだからな、と三好さんは僕らに言った。

とはいえ、三好さんの家族は奥さんとまだ小学校低学年の男の子が一人、家族で移動するには明らかにサイズが大きすぎる。三好さんはいつか来る日を夢見て、この広すぎる車を選んだのだろうか。

朝食を食べ終えて直ぐに、僕らはこの車に乗って家を出た。クルマは三列シートになっていて、助手席に僕が座り、後ろの席に藤木さんが座り、一番後ろの三列目に上島さんが座っている。二人はウォーク・インの可能なゆったりしたスペースを、まるでソファに座るようにめいっぱい使って、半分寝そべっていた。

だらしない格好のまま、一番奥から上島さんが、だからビデオに撮ってこっそりオレたちに渡せよ、と藤木さんに言ってから、なぁ、と最前列に同意を求める。それを聞いて、大沼だって見てみたいだろ?と三好さんは僕の方をチラリと覗いた。

僕は返答に窮する。見てみたい気もするし、かといってそういうことを想定して考えたことがないので良く分からないのだ。それに加えて、藤木さん自身、昔からこういう下卑た話題が苦手だ。特に恵子さんが肴にされると直ぐに不機嫌になる。

そのことを三好さんも上島さんも知っているはずなのに、やっぱり卑猥な話題に藤木さんを引っ張り込もうとする。何度か険悪な雰囲気になったことだってあるにもかかわらずだ。

もうオバさんだぜ、と藤木さんも、やんわりと否定と話題の転換を求めて応えた。無言を貫く昔とは、それでも随分と軟化した気がしたけれど、どんな表情で言っているのか、僕は後ろを振り向く気にはなれなかった。

うちのよりマシだろ?子供産んでないだけ、と三好さんは、おもしろがって言っている。そういう意味で、三好さんは単純だ。冗談を無邪気に逸脱してエスカレートさせる。邪心が見えないだけに、簡単に怒りの琴線をくすぐることも多い。

後ろのシートから藤木さんが顔を出してきた。僕はやばい、と思う。

「冗談言うなよ、恵子よりはずっと三好の嫁さんの方だよ」

美人だと言いたいのか、ビデオを見たいのか僕には分からなかった。

でも、簡単に挑発に乗ってきた藤木さんに驚いて、僕は思わず後ろを振り返ってしまった。普通にニヤニヤ笑っていた。

大沼もそう思うだろ?と藤木さんは僕を板挟みに追い込む。実はそちらが目的かもしれない。

一体誰が何を言い出して、こんな話題になったのかもう思い出せないけれど、僕らは西に向かうはずがいつの間にか南の琴平の方まで足を伸ばしてしまって、更に軌道修正に峠越えを選択してしまい、多少退屈な時間を持て余しているのだ。

だろ?と藤木さんがダメ押しをする。

分かりませよ、と僕は突き放す。

本当は好みで言えば、僕は恵子さんを選ぶだろう。おそらく藤木さん以外で、一番最近の恵子さんに逢ったのは、この中では僕だろうけれど、その印象は驚くぐらい昔と変わらなかった。特に肌が綺麗で、そのことは一度一緒に逢ったモモちゃんが驚いていた。

童顔で愛らしい瞳は、昔も今も人目を惹いていた。その目尻によく見ると皺が増えた気もするけれど、まだ二十代と言っても信じる者が出るぐらいに、若々しさを保っていた。

歳を重ねてそんなだから、フュージティブで一緒に音を出していた頃は、僕はいくらか憧れを持っていた。もっとも、直ぐに藤木さんと付き合い始めたし、恵子さんの簡単には表面には出さないファクターを垣間見ることになって、素直には恵子さんを憧れの目で直視できなくなってしまった。

ただ立ち姿でいえば、僕の中に理想で有り続けている。

だからといって、三好さんの奥さんが見劣りするわけではない。それどころか、一度ミス・キャンパスに選ばれたことがある程の美人だ。十人が十人、綺麗と言って憚らない。三好さんにはもったいない、と二人が並んでいるところに出くわした人なら、みんなが言う。

三好さんは特に秀でたところのない、普通の顔立ちをしている。年を取って恰幅が善くなっても、やはり普通のオッチャン然としている。まだ、人目を惹くなら優男風の上島さんの方で、小宮さんもきつい目をしていたけれど、イケメンという意味ではバンド内では一番だった。

小型犬のようなつぶらな瞳に、ボサボサ頭の藤木さんに、恵子さんが惹かれたのも周囲の人にとっては、驚きだったけれど、ギターを弾く姿を知っている僕には、それは納得できた。それよりも三好さんがその奥さんと付き合うことになったと聞いた時は、さすがに僕は驚いた。

僕がバンドに参加したばかりの頃、三好さんは理想の女性はフィービー・ケイツ、と限定していて、それ以外の女性とは付き合わない、という風に宣言していた。周囲は半分冗談に取っていたけれど、三好さんは案外本気で、憧れという偶像をぎりぎりのラインで踏み込んでいた。そのことが証明されるのは、その美人の奥さんと出会ってからだ。

三好さんの目の前に、まさにフィービー・ケイツにうり二つの女性が現れたのだ。

もっとも、同じ大学の教育学部に在籍していたその女性を、フィービー・ケイツにそっくり、と云ったのは三好さんだけで、確かに日本人離れした雰囲気を漂わせる、手先の器用な職人が彫刻したような笑顔の綺麗な美人だったけれど、三好さんの決意も目もいい加減なものだと僕などは思った。

それに加えて、背が高く、ヒールを履くと三好さんを追い越した。

でも、それ以来、三好さんの憧れはその女性に取って代わった。

教育学部は高松のど真ん中にキャンパスがあって、一方フュージティブが本拠地としていた農学部は街から外れた山の麓にあった。元々、接点が少なかったのを、足繁く通った三好さんは熱心にアプローチを続けた。

その甲斐あって、三好さんは悦子さんというその女性を見事射止めることに成功した。自分のことは棚に上げて、奇跡だと藤木さんは言ってのけた。

その悦子さんは、今は三好さんの妻になり、一人息子の母となった。喫茶店の横にビルを建ててそこで進学塾をやっている。小学生から受験生までを面倒見る、地元では有名な塾らしく、評価も高い。こう言っては何だけど、今では喫茶店の客よりもずっと、塾に通ってくる生徒の方が数が多い。喫茶店の前の駐車場は、塾に通ってくる学生の為の自転車置き場と化している。

初めて喫茶「キャッスル」に赴いた時、僕は悦子さんとも再会した。向こうは僕のことなど忘れていたけれど、僕ははっきりと覚えていて、やはり綺麗なままだった。いくらか肉付きが良くなったけれど、常識の範囲を逸脱していないし、あの頃短かった髪が腰の辺りまで長くなっていた。恵子さんがカワイイままなら、悦子さんは美しい歳の取り方をしている、というのが僕の印象だった。

悦子さんと付き合い始めた頃の三好さんは、自分でも信じられないという気が強かったのか、いつも心ここにあらず、落ち着かない毎日だった。バンドもどこか上の空で、それが直るのには時間が掛かった。

別に三好さんが女性に馴れていなかったわけでもない。その当時、三好さんを評して上島さんがこんな風に言っていた。理想が現実に変わった時の足元の覚束ない感じに、現実そのものが信じられなかったのだろう、と。そういう距離感は、僕には良く分からなかったけれど、間違いではないとは思った。

そのつかず離れず、というような感覚は、どうも今でも引き続いているようで、三好さんの悦子さんへの接し方はどこかぎごちない。結婚してずいぶんになるし、それも三好さんが必死で実現させたにもかかわらず、僕の目から見ると悦子さんを苦手に感じているようにさえ見えた。

明日菜ちゃんを連れてセッションをした後は、ほとんど三好さんの喫茶店で無駄話の時間を持った。その時スタジオに入ったメンバーだけでなく、フラッと顔を出してきた昔のなじみなんかもいて、日曜日の昼下がりの「キャッスル」は賑やかだった。

そこへ悦子さんは必ず一度は顔を出した。懐かしい顔を見に来たり、普通に何か用事があったり。大学生アルバイトの講師を雇っている進学塾を切り盛りしている悦子さんは颯爽としていた。ただその悦子さんを見る三好さんの目は、どこか一歩引いていて、笑顔に造作が見えなくもなかった。

収入とか気にしてんのかな、と上島さんは、今の三好さんの表情を気にしていて、そんなことを僕に言った。そして、俺は結婚してないから良く分かんないけど、と付け加えた。でも、その違和感は、僕も共通していた。

だからといって、それぞれの家庭に首を突っ込めるほど、もう僕らは子供ではなかった。

「ウチは今同じ家にいて、会話も何もないんだぜ」

藤木さんが吐き捨てるように言った。だから、ビデオなんて夢のまた夢だよ、と自嘲気味に笑ったけれど、僕には笑えない冗談だった。

その原因を作った上島さんは、聞こえなかったようにそっぽを向き、三好さんは笑顔を貼り付けたまま無言を返した。ようやく、くだらない話が一段落する。

「でも、昨日の明日菜ちゃんの制服、よかったなぁ」

安心もつかの間、三好さんがそんな風に言った。話題を変えたつもりなんだろうけれど。

明日菜ちゃんはギターを弾く時、必ず学校の制服を着てくる。彼女なりのユニフォームらしい。制服自体に思い入れはないけれど、心構えみたいなモノを象徴しているのだそうだ。セッションの時も、彼女はユニフォームを崩さず、昨日のミーティングも然りだった。

でも、と僕は気づく。確か明日菜ちゃんはもう自由登校になっていて、制服を着るのは卒業式ぐらいのはずだ。それももう間もなく。彼女が制服をユニフォームに出来る時間も限られている、というわけだ。

ライブ当日はどうするんだろう?とそんなことをふと思った。そこへ、後ろの上島さんの声が被ってくる。

「制服なんて見慣れてんじゃないの?

ああそういえば、と僕は気がつく。

「俺はあっちにはあんまり顔出さないから。悦ちゃんに任せっきり」

それに男ばっかりだぜ、何故か、と言って笑う。それから一呼吸於いて、やっぱり女子高校生の制服は輝いているよ、としみじみ言った。

「俺は美麗ちゃんの方が好みだけどな」

上島さんはサラリと言った。それを遮ったのは藤木さんだ。

「手を出すなよ」

やけにすごんで藤木さんは言った。いたいけな少女の未来を壊すんじゃないよ、と念を押す。

ハイハイ、と軽い返事で上島さんはかわした。オメェ、と云って藤木さんは後ろを振り向く。懲りないヤツだな、と吐き捨てるように言った。なんだかその会話は、ひどく意味深に聞こえた。

昨日のミーティングの時、藤木さんが恵子は諦めた、と言った時、明日菜ちゃんが上島さんの手の平をつねったのを、僕は目撃した。その時僕は、美麗ちゃんの髪を撫でたように、いらぬスキンシップでもしたんだろう、と思ったけれど、今となっては何かもっと違う親密さのようなモノが胸に残っていた。

明日菜ちゃん自身が、他人の手や肌に触れることに積極的ではない。だからこそ、上島さんの何でも無い仕草がよけい気になるのかもしれないけれど、僕はそうは見えなかった。拒否とは逆の、ずっと親密な戯れに思えたのだ。

まさかな、と思っているけれど、上島さんに絶対的な信頼感があるかといえば、それは疑問だ。どちらかというと、明日菜ちゃんが相手にしないだろう、という確信だけで、僕は二人の仲を訝しがった自分を否定している。

そんなことあり得ない、と僕は思いたがっている。そうであって欲しい、と。

「美麗ちゃんは彼氏とかいるのかな?

後ろの上島さんは、藤木さんのことなどお構いなしにそんなことを云う。

僕は自分が昨日感じた懸念を払拭する意味も兼ねて、それに応えた。

「明日菜ちゃんには彼氏はいますよ」

それに応えたのは三好さんの方だった。

そうなの?と一際大きな声を出す。付き合い長いですよ、と僕が付け加えると、そうなんだ、意外だなぁ、と言う。

「音楽一筋、男なんて見向きもしません、っていう印象なんだけど」

「分かる気はしますけど、彼氏いますよ。高校に入ってずっと付き合っている背の高い同級生ですよ。まぁ、その彼氏一筋ですけどね」

納得したような、しないような、複雑な表情で三好さんは言葉を飲んだ。

ずらずらと上っていた坂道が、ちょうど峠の頂上まで辿り着く。中賛と呼ばれる狭い香川の中央部の地域から、西讃と呼ばれる地域は、小高い山が海まで連なっていて、どうしたって峠越えが必須になる。その中でも最も遠回りで、標高の高いルートを僕らは走っていた。道を誤ると徳島に抜けてしまう。

峠を過ぎると直ぐに、ちょっとした路側帯があって、そこに自動販売機があった。ジュースでも買おう、と三好さんはそこに車を寄せる。

それぞれ車の外に出て、一台の自動販売機をぼんやり眺める。運転席から降りてきた三好さんが僕らの後ろで、煙草に火を点けた。車内禁煙、を悦子さんに厳命されているらしい。

最近炭酸飲むとお腹壊すんだよ、と藤木さんが言ってグレープジュースを買う。年寄りだな、という上島さんはお茶を選択した。僕はノンカロリーのコーラを、敢えて選ぶ。三好さんは結局何も買わずに、煙草を吸い終えるまで車の外にいた。

相変わらず良く晴れていて、精一杯高さを極めようとする冬の太陽も、陽光でアスファルトを暖めている。それでも、ピンと張り詰めたような冷気は、ちょっと油断すると衣服の隙間から肌へと侵入しようとしてくる。今年は暖冬傾向、とニュースで言っていたけれど、本当の冬の寒さはどうだったのか、気温を見せられてもピンとこない。

僕らは三好さんを残して早々と、車の中に入った。エンジンをかけたままで、僕はホッとする。フロントガラスの向こうで、手持ちぶさたに三好さんは煙草を吸っている。

やがて短くなった煙草を名残惜しそうに、ポケットから取りだした携帯灰皿に放り込む。百円ショップで見る小さな袋のような灰皿で、そこに吸い殻を押し込むと、ギュッと手で握りしめた。

クルマに戻ってくると、三好さんはシートベルトを締めながら、こう言った。

「明日菜ちゃんの裸なら、ちょっと見てみたいな」

また、話が戻ってしまった。

 

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