新曲を一度聴き終えて、もう一度繰り返す。

三度目に聴いた時、ふと僕はある種の違和感のようなものに気づいた。それまでベースばかりに気を取られていたけれど、その時になってやっとギターそのものが耳に入ってきたのだ。

曲自体は、フュージティブの昔の音、というより、相変わらず藤木さんの感性で作られた曲に相違なかった。それは強い印象となって、先ずは聴くものの耳にこびりつく。僕も実際そうだったけれど、三度目になるといくらか耳が慣れるものだ。

長い曲が終わったところで、僕は隣の上島さんにその違和感を伝えた。

「藤木さんのギター、なんだか随分変わりましたね」

ああ、分かる?と急に上島さんはなんだか嬉しそうな声を出した。そして卓の前で機材を動かしているこのスタジオの主に、ちょっと曲止めて、と声をかけた。そして僕の方に向き直ると、やっぱりおまえには分かるんだな、とまた嬉しそうに言った。

「昔はこんな感じで、チャカチャカ、カッティングを刻む感じはなかったでしょ?

僕は胸の前でギターを弾くまねをして見せた。右手を上下に激しく揺さぶって、コードをかき鳴らす素振りを真似る。

そういえばそうだな、と三好さんも同意する。そこに明日菜ちゃんが興味深そうに、丸い大きな瞳を輝かせて、話の輪に加わった。

「あの頃はカッティングぐらいしか俺は出来なくて、でもフュージティブの曲にそんなパートなかったじゃないですか。どっちかって言うと、馬鹿にされてたし」

僕は当時、ジュディ・アンド・マリーとか、レベッカとか、ああいう線の細い音で、リズムを刻むバンドばかりをやっていた。硬い音で切れ味優先のような、それでいて前に出ない流れの中に溶け込むようなギターばかりをコピーしていた。持っていたギターがストラト一本しかなくて、必然的にそういう音を好んだせいもある。第一、ソロは苦手だったし、ヘビメタみたいな早弾きも得意じゃなかった。

それとは百八十度違う音、というと大げさだけど、フュージティブはプログレとヘビメタの中間のような、複雑な構成と、テクニック重視のバンドだった。初めてバンドのテープを聴かせてもらった時に僕は、ドリームシアターを思い出した。僕がもっとも、遠くに感じていた音の洪水だった。

初めてみんなで合わせる時、先ずはコピーでもやってみるか、ということで事前に渡されたのがアイアン・メイデンだった。これぐらい弾けるだろ?と藤木さんには言われ、僕はもう死にものぐるいで練習した。

でも、あの頃はそういう、自分の中に無いものをひたすら求めていて、だから自分の選択は間違っていない、と確信した。それを証明する為にも、僕は藤木さんに必死で着いていったのだ。それは間違いなく、僕の音楽の旅のスタートラインとして、大きなプラスになっている。

そのフュージティブが二十年ぶりにやる新曲が、どこかあの頃僕が捨てたはずのポップに近づいている気がしたのだ。藤木さんが鼻で笑っていたような、軟弱な音。

でも、不思議とその新しい藤木さんの音は、遜色なく曲に溶け込んでいて、新しい何かを予感させてはいた。微妙なニュアンスは藤木さん元来の個性を強烈に放っていて、小気味よいフレーズも自分のものにしていた。ただ全体は大味で、繊細な音の積み重ねよりももっと大きな、グルーブの醍醐味がある。隠し味程度のフラグメントが実に良く効いていて、フュージティブのかつての音を、ぐっと進化させている気がした。

ただ、僕は、それならあの頃の僕はもっと、貢献できたのにな、と今になって思う。少なくとも、あの頃は僕が藤木さんを追いかけていたけれど、藤木さんがかつての僕に近づいたような、おかしな感覚を覚えた。

「藤木が可能性って言ったのは、別にこの美麗ちゃんだけの為じゃないんだよな」

そう言った上島さんは、手を伸ばして彼女の髪を撫でた。突然のスキンシップに美麗ちゃんは目を丸くして、驚いた表情のままフリーズしてしまった。見かねた明日菜ちゃんがその手を、パチンと叩いた。

大げさに上島さんは手を振って痛がって見せたが、お構いなしに話を続ける。

「あいつの中でずっと蟠っていた音があって、それが美麗ちゃんの声を聴いてパチンと弾けたらしいんだ。フュージティブと、その音が急に融合したっていう感じかな、そういうことを俺には言ってたんだよ」

一応藤木はスタジオミュージシャンだからな、と三好さんが付け加える。

「自分の好きなギターばかりは弾いていられないって事だろ?

多少哀れみの滲んだ声に上島さんは、だが首を横に振った。

「そういうところは、あいつは随分早い時点で乗り越えたっていうか、元々今の事務所と契約する時に、覚悟していたらしい。それよりは音の幅が広がることの方がずっと、自分には有意義だって思ったらしいよ」

「だからといって、今こういう音が流行っているわけでもないでしょ?まぁ、今はどんなギターが主流かって、ごちゃごちゃしすぎて分かりませんけど」

僕は相変わらず消えない違和感に戸惑い続けていた。

「藤木が東京に出た頃は、やっぱり最初は仕事がなくて、なかなか上手くはいかなかったんだよ。それを拾ってくれた先輩っていうのがいて、その人は横浜の方で結構有名なギタリストだったんだ。あいつはそのギタリストに随分世話になったらしくて、一足先にその人がユニットを組んでデビューしてからは、仕事も回してもらったらしい。いわば、今に至る藤木の師匠みたいな人だな」

上島さんはそのギタリストが組んだユニットの名前を僕に向かっていった。ああ聞いたことあるよ、と応えたのは三好さんで、僕はよく知らなかった。ジュエリーショップのコマーシャルソングか何か、やってたらしいよ、と上島さんは付け加えたけれど、やはりピンとこなかった。

続いて上島さんは視線を美麗ちゃんに向けると、さっきのことなど忘れたように笑顔で相槌を誘う。美麗ちゃんは表情を硬くしたまま、上島さんの意図を計りかねて困惑している。

そういう表情は馴れている、とでも言いたげな顔をして、上島さんは話を続ける。

「もう十年ほど前になるのかな、その師匠が亡くなったのは。まだ若くて、長く一緒に住んでいた恋人がいて、二人の間に子供もいたんだけど、やっと正式に結婚できて、これからって時に、病気が見つかって。それから一年ほどで逝ってしまったらしいんだ」

さすがに上島さんも殊勝な表情に変わる。

「その師匠に何も返すことが出来なかった、っていうのが藤木の中にあって。それも音の中で恩返しすることが、二人の間の絆みたいな感じで。結構長く、その思いを引きずっていたらしいんだよ」

上島さんの話は、僕の違和感を別の方向へと変質させた。藤木さんは僕のなかで、大きな存在感を誇示している。土台をしっかり支えられているような、そんな感覚だ。だから、いつも屹立してギターを構えている、音に向かっている藤木さんの姿が、僕の中の印象だった。

それにしては、上島さんの話はセンチメンタルに染まっていた。そこがもっとも、僕が感じる違和感なのかもしれない、と気がついた。ギターの変化は、不必要ではないが、その理由を説明する言葉はどれも足りない。その隙間をセンチメンタルが埋めているところを、僕は敏感に感じてしまったのかもしれない。

「俺もその人がメジャーで出したCDを聴かせてもらったんだけど、藤木とは好対照であいつにないものが全部、そこにはあった感じがした。もちろん、藤木がその頃持っていたフレーズなんて、もう卒業しました、みたいな感じで、とにかくギターが上手いっていうか、奥行きが半端なかったよ」

グルーブが凄いんだ、と上島さんは付け加えた。

ノリ、という簡単な言葉で片付けてしまうけれど、実際にバンドの中でそれを生み出そうとするのは至難の業だ。練習して身につくだけのものではなく、最後は感性でブレイクスルーしたりしてしまう、吐き出す方も受け取る方もひどく肉感的なファクターだ。

フュージティブはそれが売りでもあったけれど、わりとかっちりとタテのラインが揃った、グルーブというよりは爽快なまでの同期をメインに据えていたところがある。それを微妙に揺らしていたのはリズム隊で、藤木さんはその土台の上で音のブロックをどんどん積み上げていくような役割分担があった。

僕が変化したと感じたのは、まさにその部分だった。新曲では、藤木さんがグルーブしている。打ち込みのフレーズを土台にしていて強調されているだけなのかもしれないが、ウネリを藤木さんが導いていたのだ。それも微妙なタッチで、かつての藤木さんを彷彿としながら、まっすぐに走るので

はなく、縦横無尽に飛び跳ねている気がした。

やはりフュージティブは藤木さんのバンドだと、改めて思った。藤木さんの感性が先行するバンドだったのだ。だから僕らはバッキングに徹することが出来た。その役割が急に変わって、いきなり背中を押されたような戸惑いが残った。

でも、と声を出したのは明日菜ちゃんだった。

「初めて藤木さんとスタジオに入った時、こんな感じでしたよ。気がつきませんでした?

そう言って明日菜ちゃんは僕の方を向いた。

その時も僕はベースを弾いて、ドラムは藤木さんが連れてきた高校生だった。彼のリズムになかなか乗りきれず、僕は藤木さんのギターまで気が回らなかった。それよりも明日菜ちゃんが、藤木さんのギターに触れて、ひどく焦っていることの方が気がかりだった。おそらくは、彼女が初めて身近に接するプロのギタリストだったはずで、その格の違いが明日菜ちゃんを圧倒していた。自信喪失するんじゃないか、ということを僕は気にしてばかりいた。

「自分が作った曲を自分で思い通りに演奏できるという機会も、藤木レベルじゃあんまりなくて、だからこそ、今回はあいつの中で相当な思い入れがあるんだよ」

そう上島さんが言った時、ここから見える窓に光が走るのが見えた。

スタジオの隅に置かれたコンソールの向こうは、壁になっていてそこに窓が掛かっていた。分厚い防音ガラスの向こうは、夜の闇に紛れていた。そこを青白いヘッドライトが横切るのが見えたのだ。

「あいつだって新曲には躊躇があったけど、やらずに居れなかったんだ、それぐらい熱が入っているってことだよ」

上島さんの言葉を、三好さんが受け継いだ。

「ベースのことが気になっているんだろ?

まぁ、と僕は曖昧に応える。図星だったけれど、素直にそれを言い出すのは、どこか恥ずかしかった。

「オレたちも不安だよ。でも、あいつが走り始めたらもう誰にも止められないのは知っているだろ?お互い協力して、がんばろうや」

そう言って三好さんは、僕の肩を二度、三度と叩いた。

「俺もブランクを取り戻さなきゃいけないんだぜ」

ワクワクしねぇか?と付け加えて、三好さんは豪快に笑った。

「私も歌詞を書くのなんて初めてです」

横から美麗ちゃんの声がして、僕らは急に力が抜けたように、笑みがこぼれた。

「それが一番の変化かもな」

上島さんが声を一際大きくした。

「昔は歌詞だって藤木は譲らなかったんだぜ」

そうなんですか?と美麗ちゃんは驚く。

「恵子さんがいないからじゃないですか?

僕の言葉には誰も応えなかった。でも、それはおそらく間違いない。

その時、スタジオのドアを開けて藤木さんが入ってきた。いくらか上気した頬を紅くしている。車に乗ってきたというのに、首に巻いたマフラーを今ほどいている。

「最後の秘密兵器だ」

藤木さんはそう言うと後ろを向いて、ドアの影に隠れていた髪の長い女の子の手を引っ張った。押し出されるようにして姿を現した、その女の子の全貌を見て、僕らは息をのんだ。

彼女の顔をテレビで見ない日は無い、それほどの国民的アイドルが、そこに立っていた。

目鼻立ちがくっきりとしていて、華のある顔の上に、自ずと浮かび上がるどこか媚びたような笑顔は、化粧っ気がなく、地味な服装をしていても、はっきりと彼女の人となりを僕らに印象づける。他人を寄せ付けないような、独特の雰囲気がある。物腰の柔らかさの奥に、弱肉強食の殺伐とした世界を渡りきった簡単には崩れない自信が漲っていて、どうしてもそれが、僅かな仕草から零れ落ちてきてしまうのだ。

その華やかなオーラに圧倒されて唖然としている僕らを尻目に、藤木さんに更に押されて一歩前に出た彼女は、上半身をいくらか傾けて、首をかしげるような仕草をして、よろしくー、と間延びした挨拶をした。

「初めましてー、藤木の愛人でーす」

僕らはその言葉に、途端に目が点になってしまった。

 

前へ   次へ