でも、言い出したら聞かないもんな、ともう一度流れ出した新曲を聴きながら、三好さんは言った。顔はこちらを向いているが、膝を手でパタパタと叩き、靴がコンクリートの床を規則正しく打っている。ドラマーの性だ。音が鳴ると、どんな状況でもリズムを取ってしまう。

僕は気を取り直して、もう一度音に聞き入る。ベースは既に詳細にアレンジされている気がする。上島さんの助言を聞き入れたのか。コレなら、最低限コピーするだけでも済みそうな気がするけれど、藤木さんがそれで満足するか。

昔から新曲のリハーサルは、藤木さんが頭に思い描いた音を、完璧に再現する所からスタートする。先ずは自分の中でできる限り具現化して、それを僕らに伝える。そのためにテープを作り、必要ならば楽譜も書くし、実際にスタジオでは実演して見せたりした。キーボードでもドラムでも、藤木さんは最低限は弾きこなすことが出来るマルチ・プレイヤーだった。そこから、僕らはまず、藤木さんの中にだけ鳴る音を、再現するのだ。

一度、藤木さんの音が再現されると、そこから先、曲を成長させるのは、僕らの手に委ねていた。藤木さん自身、曲が進化していくことを望み、それこそがバンドでやる意味だ、といつも僕らに熱く語っていた。

コピーなら熟練すればだいたいのことはこなせる。でも、藤木さんが本当に求めていたのは、その先のプラス・アルファの部分だった。それがフュージティブのアイデンティティーだった。

そういう意味でも、フュージティブのメンバーは実に、表情豊かな感性を持っていた。ベースの小宮さんも、目立たないが細かい小技を所々に配するのが得意で、それに呼応して三好さんのドラムがうねり出す。そういう瞬間を、僕は何度も体験した。

うねりだしたリズムに、上島さんはとても繊細なオブリガードを添える。またそれに触発されて藤木さんのギターソロが別物になったりする。その大きな音の渦の中心で、恵子さんの声が舞い踊る。バンドとして、フュージティブは本当に理想的な集まりだったと今でも思う。

当時から僕は、藤木さんに着いていくのがやっとで、自分の個性など自覚もなかった。僕はただ、藤木さんに見捨てられなかっただけだと、今は思う。隙間を埋める、それが精一杯の僕の役割だった。

だから僕はどちらかというとリズム隊の方に寄っていて、小宮さんと三好さんで作り出したグルーブに、色を付ける程度の役目だった。オブラートみたいなギター、と恵子さんが冗談交じりに言ったことがある。藤木さんは、おまえはパワーコードの刻みぐらいしか特徴ないんだから、もっと勉強しろ、と毎度小言を言われた。

今はあの頃よりは、いくらかは上手くなったとは思う。でも、ベースにコンバートをして、また同じ責任を担わされるのに、藤木さんの感性に適うかどうか、まだ実際にステージで音を出していないせいもあって、不安ばかりが募る。

一方で、さっきから美麗ちゃんと明日菜ちゃんは、曲を聴く度にはしゃいだ声を出している。オリジナルなんて初めて、と美麗ちゃんは終始ご機嫌だし、藤木さんのギターのフレーズにいちいち、凄い、とか、かっこいいとか、そういう言葉を呟いては、二人顔を見合わせて笑っていた。

明日菜ちゃんは僕のことをずっと、先生と呼んでいるけれど、実際には藤木さんの方が遥かに先生らしい識見を備えていると思う。フュージティブの中で、明日菜ちゃんに先生と呼ばれると、僕は気恥ずかしくなって俯いてしまう。

それに明日菜ちゃん自身、もう僕よりは遥かにギターは上手い。

明日菜ちゃんはかっちりとした、リズムに正確なフレーズを並べるのが得意だ。その粒の揃った音は、意外にフュージティブ向きだと思う。それに比べて、当時の僕は、いつも揺らいでいて落ち着きがなかった。そんなふらついた音よりは、ずっと明日菜ちゃんの方がどっしりと構えていられるし、また前に出て人を惹きつけることも出来ると思う。

藤木さんは明日菜ちゃんの音を最初に聴いた時に、僕の方を向いて、おまえが教えた音をしているよ、といってニヤリとした。テクニックはともかく、好む音が似ている、というのだ。その下地は、どう考えてもかつてフュージティブで培ったものに違いなく、いつの間にか明日菜ちゃんに受け継がれていた、ということらしい。

僕自身はまったくそのことに気づかなかった。僕は僕なりのやり方で、明日菜ちゃんにアドバイスしただけだ。もちろん、フュージティブの音は、テープに残っているモノはほとんど聴かせたし、練習の課題にもしたことがある。

でも、藤木さんが言うには、血のようなものが脈々と流れていっている、らしい。理屈じゃなく、自然と影響されるものなんだよ、と藤木さんは言った。

明日菜ちゃん自身、肌が合うのを知っているのか、フュージティブの音を聞くと、他の曲よりはずっと楽しそうにギターを弾く。今だってもうギターを抱えて、耳についたフレーズをコピーしている。笑顔が貼り付いて、なかなか消えそうにない。その横で、美麗ちゃんが同じように、笑っていた。

 

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