新曲やるの?という言葉が、思わず僕の口を突いて出た。耳聡く藤木さんはそれを聞きつけ、僕を睨んだ。だって、と僕はその目を射返してみたが、直ぐに逸らされ、コレをといって藤木さんはCDを配った。

今からラフにアレンジしたヤツを聴かせるから、とブースの中に入って卓を操作する。リハーサルルームには、全体の音をまとめて鳴らせるように、当日使用するのと同じスピーカーが積まれていた。暫くすると、そこからギターの音が鳴り始めた。そこにキーボードが被り、いきなり変拍子のユニゾンフレーズが重なる。

曲は展開が激しく、テンポもコロコロと変わった。フュージティブはいわゆるプログレと呼ばれるジャンルに強く惹かれたバンドだった。つまり、かつてのフュージティブの色を強調したような、いかにもオレたちの音、というのが、その曲を聴いた時の僕の印象だった。

ギターは藤木さんが弾き、キーボードはどうやら上島さんも一部重ねているようだ。ドラムやベースはパソコンで打ち込まれていたが、ありきたりのパターンを並べたものではなく、ちゃんとフレーズが組み上げられていた。メロディーラインだけ、無機質なキーボードの音で流され、昔はこういういわゆる完成前のデモテープの段階でも、恵子さんの声でメロディが入っていたのを思い出す。

曲を全て流し終えて、藤木さんはブースから出てきた。仏頂面だが、自信を漲らせた目をして僕らを一瞥する。昔から新曲を聴かせる時のお決まりの表情だ。

それに対して、僕らは直ぐには感想を口には出来なかった。曲は、かつてのフュージティブを彷彿とさせ、これから僕らの手を加えて完成へと導いていくことに、胸は高鳴っていた。だが、ライブまでもう一ヶ月を切っていて、そこまで練り上げることが出来るかどうか、という不安が先に立った。学生の頃とはワケが違う。

藤木さんは東京でのミュージシャンの仕事を休み、高松でのギター講師の仕事だけに絞ってこのライブにかかり切りになっていた。おかげで時間はいくらでも自由になる。というよりも、音楽に没頭できる時間を確保する為に、多少強引に周囲をねじ伏せてしまっていた。同じように上島さんは去年いっぱいでそれまで勤めていた風俗店を辞め、現在は無職でやはり時間だけは山ほどあった。

明日菜ちゃんは進学先も決まり、後は卒業式を待つばかりで日がな一日、家でギターばかり弾いていた。そういう意味では、明日菜ちゃんも藤木さん達と境遇は同じだ。

一方の僕は普通に朝から晩まで働いている。三好さんも喫茶店のマスターをやっているし、美麗ちゃんには学校がある。彼女にはそれに加えて、親の目もある。詳しくは知らないが、明日菜ちゃんの話によると、彼女の家は親戚含めて教育者一族で、こと学校のルールに反することにはうるさいらしい。ミーティングも、あれこれ理由を付けて何とか、顔を出せている状態だという。

音楽に没頭できるという意味では、僕が一番不利だが、それに加えて、僕は今回フュージティブにはギターで参加しない。僕のパートは明日菜ちゃんが担い、かわりにベースを担当する。

フュージティブの初代ベーシストは、僕らがバンドを離れて直ぐに、突然亡くなった。

家が元々漁師で、水産業を手広くやっていた。小宮さんというそのベーシストは、祖父に着いて漁に出るのが似合っている、と云って毎朝漁船で海に出ていた。その海の上で突然倒れてそのまま帰らぬ人になった。

その訃報から、フュージティブは完全な形で再結成というのは、恵子さんの不参加以前に元々無理になっていたのだ。どうしたって、その穴を補完する必要がある。それが僕に回ってきたのだ。

フュージティブを再会させたのが、明日菜ちゃんで、彼女はギターを弾いていて、しかもステージは彼女の卒業ライブが本来の目的だ。当然のように、ギターは彼女に任せて、おまえがベースを弾け、と藤木さんはほとんど命令に近く言い放ち、その時点でコンバートは再結成の前提になってしまった。

はっきりと分かりました、と応えたつもりはなかったけれど、僕のベースへの配置換えはもう既定路線として藤木さんの中では固まっていて、僕もいつの間にかそのミーティングにもベースを担いで赴いていた。

一応、空いた時間に昔のオリジナルのベースパートを練習しておいたけれど、再結成の話が本格化してから、空いた時間というものが極端に少なかった。恵子さんの説得や、藤木さんや上島さんの相手をしていて、自分の時間がすっかり削られてしまったいたのだ。

その余波は、僕にやっと出来た恋人のモモちゃんとのデートに割く時間にも及んだ。看護師をやっているモモちゃんと休日が重なることはそう多くない。その貴重な時間も、フュージティブは掠め取っていくのだ。

ついには、暫く逢わないでいましょ、とモモちゃんに告げられた。ライブが終わるまで、という条件付きだったけれど、僕は一体何の為に音楽をやっているのだろう、と考えてしまった。

モモちゃんに聴かせたいから、今でもギターを弾いているつもりだったのに。

僕はそう愚痴を言いながらも、開き直って今度のライブに集中することにした。ベースへのコンバートも僕は受け入れ、ここ暫く家ではギターを弾いていない。

ベースは家に一本だけあって、片手間に弾いていた。家で明日菜ちゃんと曲を作る時、アレンジをするために手にしたりすることもあった。

そもそも、明日菜ちゃんを連れてセッションに出かけていっていた頃、例えば藤木さんと一緒にスタジオに入る時などは、僕がベースを担当した。ギターが三人ではうるさすぎる。気分を変えるためにもその方が僕も楽しめた。

指弾きは苦手だが、弦の太さに適う握力に慣れてピックで弾きさえすればそう違和感はない。それまでにも、時々遊びで弾いていたのが多少は役に立った。

それでも、藤木さんが見合うレベルの音を紡ぎ出せるのか、自信はなかった。

なにしろ小宮さんは、ベースがべらぼうに上手かった。

バンドに参加するまで藤木さんやフュージティブのことは知らなかったが、僕は小宮さんの名前だけは噂に聞いて知っていたほど、凄腕ベーシストの名声がとどろいていた。

観音寺に何でも弾けるベーシストがいる、というその噂は僕がまだギターを手にしていない頃から、仲間内で時々話題に上り、実際にパンクバンドをやっている所を見に行ったコトもあった。確かにギャンギャンうるさいだけのそのバンドの中で、ベースだけはどこか超然としてまるで空気が違っていた。何がどう違うのかまったく分からなかったけれど、とにかく圧倒されてしまった。

フュージティブに参加して、小宮さんを紹介された時、だから僕は随分と驚いたのだ。あの小宮さん、と僕が呟くのに、小宮さんは苦笑を帰しただけだったけれど、音を出すと噂通りのグルーブが吹き荒れた。、ジャンルはまったく違っているのに空気感というか、ベースの存在感だけは変わらず、三好さんのドラムと一体になってバンドの土台をドライブさせていた。

とんでもないバンドに参加してしまった、と僕は思った。小宮さんのベースと同じくらい、他のメンバーも抜きん出て上手かった。僕の視野が狭かったせいかもしれないが、彼らに着いて行けるのかどうか、最初の一年ぐらいは練習の度に不安になっていた。家でギターの練習をしていて、プレッシャーで何度か吐いたことすらあった。

そのレベルに今の自分が達することが出来るのかどうか、ギターでも覚束ないのに、と僕はそう思わずにいられない。まだ、ギターでなぞった曲ならまだしも、新曲まで手が回るかどうか。

昔は一人プレッシャーに戦いていたけれど、あれからみんな同じように歳を重ね、僕もいくらか発言する勇気を持った。僕は自分が不安であるということを、少なくとも藤木さんには知っておいてもらわないと、と強く思った。みんなの足を引っ張ることになっても、言い訳のスペースだけは残しておきたい。

新曲は、と僕は立ち上がって藤木さんに言いかけたその時、彼のケータイの着信音がけたたましく鳴った。一度僕の目を見た藤木さんが、慌ててジーンズの尻ポケットからスマホを取り出し、後ろを向いて耳に当てた。

間の悪い僕は取り残され、お構いなしに藤木さんは二言三言、スマホに向かって返事を返す。通話は直ぐに終わり、僕が気を取り直す暇もなく、すまないちょっと出てくる、と言い残して、藤木さんは出て行ってしまった。

僕は力が抜けたように、パイプ椅子に落ちるように腰を下ろした。軋んだ音がリハーサルルームに響く。

また、やられてしまった。

そんな僕を察したのか、隣に座っていた三好さんが僕の肩をポンと叩いた。その隣の上島さんが、俺も無理なんじゃないか?って云ったんだぜ、と言い訳めいた言葉を出した。

だが何の気休めにもならず、僕は思わず、がっくりと項垂れてしまった。

 

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