パン、焼けたぞ、と妹が台所から顔を出して怒鳴った。三好さんは訝しそうな顔をして、僕たちを見た。これから僕らは少しドライブをする。三好さんはこのまま出かけるつもりだったらしい。それを上島さんが、オレたち飯まだなんだよ、と笑って留めた。こいつがまだ起きなかったからさ、と僕の背中を突く。

小突かれながら、そういえば今日は妹は休みなんだ、と気がついた。妹は近くの浜沿いにある食品工場で、お総菜ラインの主任をやっている。管理職だぜ、と妹はいつも自慢げに話す。従業員はほとんどビザが大丈夫なのかどうか分からない外国人労働者ばかりで、その日本語もあやふやなラインを切り盛りしているのだ。

日曜日が休みなのは、妹にしては珍しい。最近は、お腹の大きなユキちゃんの面倒を見るために、彼女の通院に合わせて休日を取っている。それは自然と産婦人科の開いている平日になる。

結婚の許しを得るために、ユキちゃんの実家に行った一号は、彼女の父親から一発殴られて帰ってきた。二度と顔を見せるな、と怒鳴られ、一人娘のユキちゃんは家から勘当されてしまった。

それがきっかけだったのか、ユキちゃんは体調を崩して何日か入院した。そこに手を差し伸べたのが、妹だった。あたしは経験者だから、と言って一号と一緒にウチに居候することを勧めた。

僕らの両親は、随分前に交通事故で亡くなっていた。それから妹と二人の生活が続いた。僕が名古屋から一号を連れて帰った頃、まだ他に同居人がいて、この家は賑やかだったけれど、それがいつの間にか、二人きりになった。

だからといって寂しさを感じることはなかったけれど、逆に急に賑やかになってあの頃のシンと静まった仏間の空気を懐かしく感じたりする。今そこは妹とユキちゃんのちょうどいい昼寝スペースになっている。

そこにフュージティブのメンバーとの再会が重なって、来客も増えた。ライブの話が持ち上がってからは上島さんと藤木さんは僕の家に入り浸っている。おかげで騒々しさが加速している。それも三月末までで、それから先のことは誰も何も決めていないけれど、果たしてユキちゃんが無事出産を終えたらどうなるのだろう?

またあの閑散とした空気に、戻ることが出来るのだろうか。

ライブはいろんな意味で、ターニングポイントになるような気がした。

そういえば、騒々しさだけでなく、僕は最近になっての変化を、いくらか注意深く見守っている。

それは妹の服装だ。

妹には、離婚した夫との間に一人娘がいた。しばらくはこの家で一緒に住んでいたのだけど、ほとんど詐欺みたいなやり口で、夫の方に取り上げられてしまった。二度と会うことは叶わず、いかなる方法も、地元では手広くやっている社長一家である夫の取り巻きには敵うはずがなかった。

一人娘と会えなくなったことで妹は変わった。簡単に言えば、がさつになった。服装や、身の回りのものに気を遣わなくなり、言葉遣いがぞんざいになった。それは妹の職場環境が大きく影響しているのだろうけれど、きっかけは一人娘との別離であるのは明らかだった。

僕はそんな妹に、最初の内はいくらか意見したけれど、一切一人娘の名前すら出そうとせず、七夕というその女の子の名前が入ったものを玩具から服から家具の類いまで、一切合切庭で焼き捨ててしまった妹に、強くは言えなかった。それでも日常を淡々と過ごしていき、いつの間にかテレビを見て笑うようになっていた。冗談口もたたけるようになって、今の妹が出来上がった。

それが、最近、ジーンズを穿くようになった。

それまで誰の前でも、スウェットの上下が妹のユニフォームで、その格好で仕事場も近くのスーパーも顔を出しているので、この界隈ではそれが妹の姿だった。

化粧もろくにしなかった妹が、ある日ふと見ると、セーターにデニムのジーンズ、という姿で姿見の前に立っていた。自分でも落ち着かない素振りで、しきりに鏡を見ていた。僕は驚きを隠せなかったが、妹には気づかれないようにその場を後にした。

すぐ後に妹はユキちゃんを連れてクルマで出ていった。なるほどと僕は合点がいった。

ユキちゃんが妹を頼りにし慕っている、というのはあるけれど、とにかく二人はよく一緒にいる。妹は仕事に出かけて家事は一切、ユキちゃんの賄いになった。それでも彼女はいちいち妹に相談して、話をして、そしていつも一緒に何かをしていた。

妹の唯一の趣味である庭の花壇は、去年の夏から広さも倍になり、半分以上が菜園に移り変わっていた。そこの手入れも、ユキちゃんは出来る範囲で身体を動かしていた。当然、彼女の出来ることは限られる。妹が一緒になって作業せざるを得ない。

そういう時、庭からは明るい笑い声が聞こえてくる。

ある日、冬に備えて小さなビニールハウスをどうしようか、と二人して花壇の前であれこれ話していた。ちょうど僕の部屋には明日菜ちゃんがギターを弾きに来ていた。

休憩していると、庭の騒がしさが二階まで届いてきた。二人の女性の声がして、そこに笑い声が時折混じる。その声を明日菜ちゃんも聞いた。そして、妹さんの声のトーンが随分違ってますね、と僕に言ったのだ。どんな風に、と聞き返すと、先生分かりませんか?と明日菜ちゃんはクスクス笑った。

「何となく、丸くなったというか、柔らかくなったというか、そんな声のトーンになってますよ」

それはユキちゃんのおっとりしたトーンに共鳴している、と明日菜ちゃんは分析した。二人してとてもイイ倍音が出てて、心地よく響くんですよ、と明日菜ちゃんはうっとりした表情で目を閉じて、暫く庭から聞こえる声を聞いていた。

ユキちゃんに手を差し伸べたのは妹の方だったけれど、僕は一人娘のことを思い出すんじゃないかと不安だった。でもそれは杞憂だったようだ。

ユキちゃんのお腹に宿った命は、妹の手でも支えられている、そんな気がした。見えないへその緒が妹にも繋がって、妹自身の何かを変えているのかも知れない、と僕は想像した。あるいは、取り戻しているような。

それは今まだ、服装の変化でしか表には出てこないけれど、それは今までの妹の中で大きな変化には違いない。

その妹は、男達三人の尻を叩くようにしてダイニングテーブルの前に追い立てる。テーブルの上には、生焼けの食パンが綺麗に三つ並んでいた。マーガリンの箱が真ん中に置いてあり、苺のジャムがその隣、珈琲の空き瓶の中に詰まっていた。

自家製、と妹はそれを指さして、上島さんと藤木さんに言った。へぇぇ、と上島さんは大げさに驚く。確かにそれは、庭の菜園で出来た苺だ。妹の菜園の指南役である隣の田んぼの人から苗木を分けてもらって、肥料や例の小型のビニールハウスや、おそらくここ一年で一番手をかけたものだ。

それぞれがその苺ジャムをパンに塗りたくった後、蓋を閉めようとした僕の手を三好さんが止めた。瓶の口あたりに着いていた紅いジャムを指で掬ってペロリと舐めた。

「ああ、コレは美味いよ」

三好さんの顔がほころぶ。上島さんが妹の方を向いて、三好は国分寺で喫茶店をやっているんだよ、という。僕が知っている限りでは、その前は、食品会社の開発部にいたはずだ。

おまえ、三好さんに逢うの初めてだったっけ?と僕は妹に尋ねた。

すると二人は急に身なりをただして、初めまして、と頭を下げ合った。そんな二人の様子など意に介さずに、藤木さんはバクバクと食パンにかじりついていた。

パンもう一枚焼こうか?と妹は僕に訊く。三好さんにも食べてもらえば、と僕は頷いた。

ああ、遠慮なく、と云いながら三好さんは笑顔で僕の隣の椅子に腰を下ろした。

食品に関しては三好はプロだからな、と上島さんはパンをかじりながらも妹の方をずっと向いている。藤木さんはもう最初の一枚を平らげてしまった。

「国分寺の喫茶店は元々三好の親父さんがやってて、それを引き継いだんだよ。最初は喫茶店なんか絶対に嫌だ、とか云ってたのにな」

やっと上島さんは、三好さんの方を向いた。

三好さんの喫茶店は、明日菜ちゃんを連れてのセッションの時、決まってスタジオを出ると集まるたまり場になっていた。上島さんが言ったように、大学時代の三好さんは、徹底的にその喫茶店を避けていて、僕らはこの歳になって初めてその扉を潜ったのだ。

僕らは時々三好さんの家には赴いていたけれど、喫茶店の中に入ることは一切なかった。

喫茶店は兼業農家の彼の親父さんが、勤め先を辞めて急にやり始めた。ちょうど自宅を建て直す、という話があって、その折に店舗兼自宅にして、喫茶「三好」の営業を始めたのだ。

ただ、平たい建屋の喫茶店の上に、自宅を建てたのだけど、それだけがなぜか日本家屋のままで、しかも施工直前に風水的に家の向きが悪いとか何とかいう話になって、僅かに回転したような格好で完成した。それは明らかに下の喫茶店の軒先のラインとはズレていた。

その見栄えがまるで石垣の上に天守閣が乗っているようで、近所の小学生がお城、お城、と揶揄していた。見栄えがそんなだから、店はそこそこ目立って繁盛していた。今になって訪れてみると、いつの間にか店の名前が「キャッスル」に変わっていた。

何があったのか詳しくは知らないけれど、三好さんはその喫茶店を嫌っていて、当然のように父親とも仲が悪かった。自宅とはちょっと離れたところに先祖伝来の田畑を持っていたのだけど、そちらは手伝っても一切喫茶店の方には顔を出さなかった。

それが今は三好さんが店長になっていて、店を切り盛りしていた。父親はまだ健在で、喫茶店は三好さんに任せたきり田んぼの手入れに集中していた。気まぐれなんだよ、と三好さんは毒づきながら、それでも恰幅が善くなって、店長という肩書きとデニムのエプロン姿がよく似合っていた。

店の奥には当然のように、昔使っていた三好さんのドラムセットが飾られていた。当時のまんま、フルセットでセッティングされている。ニール・パートに憧れていた三好さんは、とにかくタムやシンバルの数が豊富で、山のように並べて使っていた。当時は、ツーバス全盛期で、横に広がるセットが主流だったけれど、三好さんはやたらとスタンドを高くして上に延びるようにセットしていた。シンバルはまるで上から降ってくるように吊されていた。

それを解体して、昨日の夜、例のリハーサルスタジオに持ち込んだ。普段舞台装置などの倉庫になっているのを、大道具を流用して仕切りを作って、隅には簡単なブースもあつらえてそこには音響用のミキサー卓が備えられていた。デジタルミキサーを二台並べて、既にマイクは繋がれていた。アンプやドラムの前にセットすればいつでも音が出せるようになっていた。

そこにあの、ビルのように背の高いドラムセットが組まれた。それを全て三好さんは一人でやり終えた。僕らはせいぜいアンプを置くぐらいで済んだのを、みんなより一足早く乗り込んで、黙々と組み上げたのだ。喫茶店に飾ってあったのを一度バラして、また一つ一つ組み上げていく。

手伝いましょうか、と誰もが一度は言ったけれど、三好さんは笑って断った。セットを組み終えて満足げな顔で煙草を一本吸うと、三好さんはセットのスツールに腰を下ろした。昔と比べて、恰幅のよくなった三好さんが窮屈そうに見えた。

でも、その笑顔を見て、僕らは納得したのだ。その感慨を藤木さんは、ぼそっと口に出して云った。

「三好が帰ってきたなぁ」

その言葉が届いたのか、三好さんはスティックを構えていきなり、タムを連打し始めた。コロコロと転がるように回るその音が、僕は懐かしくて堪らなく、目頭が熱くなった。

僕らは暫く三好さんの音を聞いていた。明日菜ちゃんは、スタジオで三好さんのドラミングは体験しているけれどそれはスタジオ備え付けのセットで、三好さんお手製のセットの音を聞くのは初めてだった。その顔が徐々にほころんでいくのを、僕は横目で見ながら、そうだよな、と頷いていた。

おそらく、僕が真っ正面から今回のライブを見据えたのは、その時からだ。

それまで雑事に追われて、ライブ自体が厄介者に思えていた。それが、やはり音を出せる、と思うだけで、身が引き締まり胸がワクワクし始める。その喜びに囚われると、他のことなどどうでも良くなってしまう。早く自分も音が出したくて溜まらなくなる。

拭いがたい性なんだろうな、と僕は納得したのだ。

やがて、ドラムを叩き終えた三好さんが、セットから出てきた。満足したように無言で頷く三好さんは、やっぱり全身を汗でびっしょり濡らしていた。

 

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