フュージティブは藤木さんのバンドだった。

曲を作り、歌詞を書き、アレンジを施して、ステージの曲順から演出まで全て藤木さん主導で行われた。僕らはほとんど、藤木さんの頭の中で鳴っている音を具現化する作業に終始した。

特に僕などは、彼と同じギターのパートだけあって、随分と絞られた。こんなフレーズも弾けないのか、と何度も怒鳴られた。殴り書きの練習フレーズの譜面を、次のリハーサルまでの宿題のように渡され、弾けないと罵られた。

それでも結局、僕はステージで一度もソロを弾かせてはもらえなかった。藤木さんのギターにギターを重ねるハモリパートはあったけれど、僕単独のソロは結局、オリジナルでは実現しなかった。

大学を卒業して、プロのギタリストになった藤木さんは、それでもフュージティブには思い入れが残っていたことは、その再結成ライブが具体的に転がり始めてから、僕は思い知らされることになる。

その集大成が、昨日の夜だった。ライブに向けての最後のミーティングが行われたのだ。

卒業ライブは、もうすっかりフュージティブ再結成ライブになっていて、藤木さんはそのセットリストを細部まで練り上げていた。フュージティブのパートだけでなく、ライブ全体の細かいタイムテーブルが出来上がっていたのだ。

ライブにはいくつかのバンドをゲストに迎え、またこのライブのためにコラボレートするユニットも組み、その中心にフュージティブを据えていた。

中心に構えているはずのフュージティブだったが、三月末の本番を控えて、昨日になるまでバンド自体の詳細はまったく動いていなかった。それにはいくつか理由があったのだけど、ひとまずそれを乗り越えて、ようやく昨日、フュージティブとしてやるべきことが決まった。

メンバーは昨夜、今回のライブで音を含めた舞台の全てを一括的に担当する音響屋の機材倉庫に集まった。そこは元々、フュージティブを大学時代にサポートをしてた男が社長をやっている音響レンタルの会社で、今回はリハーサルスタジオまで用意してくれたのだ。それがその機材倉庫を改造したスペースだった。

元々リハーサルルームは、今回参加する明日菜ちゃんを始めとした高校生達の、練習代を浮かせるために用意されたもので、機材はドラムも含めてその音響屋のレンタル物だった。そこにフュージティブの面々はいよいよ、自分たちの愛器を持ち込んで、これから本格的に音を出すためにセッティングをした。

一通りの準備が終わった後、藤木さんがホワイトボードの前に立って、ミーティングは始まった。

懐かしい風景だった。昔も大学の軽音楽サークルの部室に宛がわれた部屋で、黒板を前にして藤木さんがステージの演出やら、曲順やらを説明していた。その頃の光景が重なって、僕らの中のノスタルジーを刺激した。

でも、そこで語られたものは、やはり今のフュージティブの姿だった。あの頃の再現、というわけにはいかなかった。もちろん、それを望んでいたわけではなかったけれど、元には戻らない、という現実は満足というものとはいくらか遠くに感じられた。

それでも、すったもんだあった末にやっと音が出せるところまでこぎ着けたのだ。僕はホッとして、その懐かしい光景を見つめていた。

ホワイトボードを前にした藤木さんは、最後に一つだけ、やっておかなければいけないことがある、と妙に神妙な顔をして云った。それを藤木さんは、後始末、という言い方で表現した。

その後始末を藤木さんは、明日やる、とミーティングの最後に告げた。そのために、彼と上島さんは僕の家に泊まり、三好さんが朝早く国分寺の自宅からここへ駆けつけたのだ。

そんなわけで、僕らはこれから、二度とあの頃には戻れないことを胸に刻みつけるために、言い訳をしに行くのだ。

 

前へ   次へ