深呼吸っていうけど、深呼吸の動作で一汗掻くよな、とこれまた何度聞いたか分からない三好さんの声を聞いて、ラジオ体操は幕を閉じた。今はもう見る影もないが、昔の三好さんは本当に痩せていて、それなのに相当な汗かきで、オマケに楽器の中でも一番身体を酷使するドラムを叩いている。彼の流す汗は毎回、尋常ではない。

ただ、そのお決まりのフレーズを聞いたのも、十何年ぶりか、もしかするともっと時が経っているかも知れない。彼らが大学を卒業するのと、僕が高校を卒業する年が重なって、それきりバンドはぴたりと活動を停止してしまった。

上島さんと三好さんは就職で香川を離れた。藤木さんは在学中からギター講師の資格を取っていて、高松の楽器屋に講師の席を残したまま、そのコネを辿って東京のプロダクションとも契約してスタジオミュージシャンをやり始めた。僕自身は暫くブラブラしていて、一年ほどしてから名古屋にプイッと出て行ってしまった。

つまり、学舎を出たらバンドは終わり、というような、誰が言い出したのでもない不文律を、みんなが納得していて、学校を出たらそれぞれの人生を歩むために、思い思いの道を見つけていったのだ。

だからちゃんとバンドは解散をしたわけではない。最後のライブはあったけれど、解散を銘打ったものではなく、その時はそれが最後になるとも思ってなかった。それ以降のスケジュールが合わず、結局もうライブは出来なくなってそのままバンドは消滅したのだ。

バンドのリーダーで、コンポーザーだった藤木さんは、だからバンドはまだ解散してない、と言い張るのだけど、他のメンバーは皆、バンドはもう終わっていることに何の疑いも持ってなかった。

それが今になって再び集まることになったのは、僕の家に女子中学生が通うようになったのが始まりといえば、始まりだ。

彼女は、ギターを僕の部屋に習いに来ていた。ちょうど彼女の兄と、ユキちゃんが同じ大学に通っていて、その頃既に一号とユキちゃんは一緒に暮らしていて、ギターを教えてくれる人、というラインが僕に繋がったというわけだ。

明日菜ちゃんという名のその女子中学生は、見る間にギターの腕を上げ、高校生になって自分のバンドを組むようになってからは、とにかくそのテクニックと美貌で周りの人間の注目を浴びるようになった。

その頃にはもう僕のギターなど足元にも及ばなくなっていたのだけど、律儀に彼女は僕のことを先生と慕って、毎週土曜日の午後通い続けた。

ちょうど明日菜ちゃんが高校二年の終わり頃、僕は偶然上島さんと再会した。バンドが事実上の解散をしてから、散り散りバラバラになったのもあって、僕はまったく藤木さん達と会う機会がなかったのだけど、路上で一号と一緒に毎週歌っているところに、本当に偶然に上島さんが顔を見せたのだ。

僕らは思い出話をするにも、当然のように音楽が介在していて、楽器の演奏自体おざなりにはなっていても、どこかで今でも音楽に携わっている、と思いたがっていた。懐かしいな、と話すエピソードも、どこかで今の音楽との距離感が変わらない。現役でやっていると胸は張れないけれど、まだギターは弾いているよ、ピアノには毎日触れているよ、とお互いに告白することは出来た。

それが明日菜ちゃんの話題になって多少趣が変わった。僕はその頃、テクニック的なことよりも、もっと経験を積むことにシフトした方が、彼女のためになるのではないか、というようなことを考えていて、そこにタイミング良く上島さんが現れた。当然のように、久しぶりにスタジオに入りませんか、という話になり、もう次の週の日曜日には、僕は明日菜ちゃんを連れ、上島さんは知り合いのリズム隊を招いて音を交わらせていた。

結局僕には、一緒に音を出すラインは藤木さんや上島さん達にしかなく、そこを辿っていくといつの間にかかつてのバンドの同窓会、というようなものに変容していった。それぞれがそれぞれの道を見つけて香川から離れていったけれど、気がつくと皆、やはりそれぞれの理由を抱えて香川に帰っていた。

フュージティブ、という大学時代のバンドの名前が口から出た瞬間から、いつかはかつてのメンバーで音を出すことは、きっと皆の頭の中にはあったはずだ。そこに、明日菜ちゃんの卒業ライブの話が持ち上がった。彼女はこの三月に高校を卒業して、横浜の短大に進学する。もちろんギターを抱えて、彼女流の下心を持って、夢を模索する旅に出るのだ。

その門出を祝うはずが、フュージティブに彼女を引っ張り込んでの再結成ライブにすっかり変質させてしまったのは、藤木さんがまた、大学時代並みにみんなを強引に引っ張り始めたからだ。

 

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