ラジオ体操を今度の東京オリンピックの開会式でやればいいと云ったのは、目の前にいる藤木さんだったか、その隣の上島さんだったか。思い出そうとしても、直ぐには頭が働かないのは、ついさっき目を覚ましたばかりだからだ。僕は正面にいる藤木さんと、その隣の上島さんについさっき、叩き起こされたのだ。

二人は前日からウチに泊まり込んでいて、それは二人とつきあい始めて初めてのことだったけれど、狭い僕の部屋に布団を並べて、眠りについたのは、ついさっきだったような気もする。眠る直前まで藤木さんは僕の部屋にあるギターをずっと爪弾いていた。

その藤木さんも、僕と同じ様にそうたいして寝ていないはずなのに、今朝は一番に起きて、階下の台所でウチの家の主である妹となにやら騒がしく話をしていたのを、僕は夢うつつで聞いていた。その声に惹かれるように上島さんが、のそっと起き出してやはり階下の騒ぎに加わり、うるさいなぁ、と思いながら僕は強く瞼を閉じて音を追い払おうとした。

やっと眠りの深淵へと落ちかけた時に、外で随分と野太いエンジン音がして、階下の騒ぎの色が変わった。程なく、階段をドタドタと駆け上がる音がして、僕は藤木さんに揺り起こされた。三好が来たぞ、と半ば怒鳴って直ぐに行ってしまった。はい、と僕は返事をしてまた布団を被る。

すると、今度は上島さんが僕の枕を勢いよく引き抜き、ウチのスティーブ・スミスがお待ちかねだぞ、と半笑いの声で言った。僕はそのまま引きずられるようにして階下へと連れて行かれたのだ。

台所の時計を見ると九時を回っていたけれど、どうも昨日の夜が引き続き明るくなっただけのような気がして、いつも見る朝の風景とは違って見えた。妹がキッチンの前に立って洗い物をしていて、僕に気づくと、外で待っているよ、とやはり半笑いの声で僕に言った。僕はそのまま台所の横にある勝手口から、サンダルを突っかけて外に出た。

良く晴れていた。朝の太陽が眩しい。

それでもまだ三月の初め、冬の冷気は絶対的に季節の移り変わりを拒否しているように、僕の頬を刺した。パジャマ代わりのスウェットの上下に、裸足の足元に寒さは強か、僕の肌を打つ。

その寒空の下、やけに晴れ晴れとした中年の男の顔が三つ並んでいた。

僕らが初めて逢ったのは、僕が高校生の時で、彼らは大学生だった。藤木さんはギターを弾き、上島さんがキーボードを奏でるバンドをやっていたところに僕が後から参加し、そこで出逢ったのがドラムを叩いていた三好さんだった。

あの頃はみんな、痩せていてそれに見合う精悍な顔をしていた。それが今は、すっかりお腹に限らず全身がふっくらした好いおじさんになってしまっている。僕はその歳を重ねた三人が集まった姿を、おそらくは高校を卒業してからは初めて見るのかも知れない、と思う。そんな感慨を思い起こすほど、変容してしまっている姿に僕は唖然としている。

もっとも、おそらくは僕だって同じだけの月日を重ねて、同様のふくよかさを身につけて、いくらか頭髪のことも気になり出し始めているのだ。老いを隠すために細心の注意を払わなくてはいけない年代になっているはずなのに、僕らはまるで見て見ぬ振りするように無防備に醜態をさらしているのだ。

寝起きの僕は未だ頭が回らず、無防備の上に無防備を重ねている。三好さんがそんな僕を見て笑っている。寝起きか?とやけに鮮やかな笑顔を僕に向ける。僕が返事に窮していると、しっかりしろよ、と藤木さんが独特のアイロニーを込めて舌打ちする。

ラジオ体操でもやるか、と云いだしたのは三好さんで、好いね、と上島さんもその話に乗っかる。寝起きにはちょうどいいか、と自分を納得させるように藤木さんは言ったけれど、この仲間内の中で一番体操を好んでいるのは藤木さんだ。

僕らがやっていたバンドがライブをする直前、必ず儀式のようにラジオ体操をやっていた。発案者は藤木さんだ。

バンドにはそれぞれ、例えばステージに上がる前に声を合わせて気合いを入れたり、海外のアーティストなんかは神に祈ったり、それぞれ気持ちを切り替える儀式みたいなものを持っている。バンドメンバーが気持ちを一つにするセレモニーを経て、舞台に駆け上がっていくのだ。

僕らのバンドの場合それがラジオ体操だったのだが、ステージ前と言っても今まさに、という直前ではなく、だいたいがリハが終わって一段落して、それじゃやっておくか、という具合でやり始める。実際ステージに上がる直前の、普通のバンドが儀式をやる時間には、どちらかというとスタッフに呼ばれて三々五々出て行く、というダラリとしたもので、僕は最初それになかなか馴染めなかった。

ラジオ体操は、だから気合いを入れるとか、心を一つにして、という意味合いよりは、どちらかというとおまじないの要素が強かった気がする。やっとかないと落ち着かない、からやる。藤木さんが特にそのことを気にかけていて、だいたい彼がやるぞ、と声をかけてやり始める。

当時のバンドメンバーは全部で六人で、ライブハウスの楽屋のみならず、ちょっとしたホールでもみんなが揃ってラジオ体操するスペースは限られた。屋上とか、店裏の路地のようなところがあればいいのだけど、一度高松の商店街のど真ん中にあるホールでライブをやった時は、アーケードの下の往来で円く輪になってラジオ体操を始めた。さすがに帰宅途中の人混みを避けて隅の方に陣取ったけれど、往く人往く人の視線を浴び続けた。

それでも藤木さんは意に介さず、一際大きな声で一っ、二っ、三っ、と声を上げ、何処で覚えたのか、腕を上に上げて延びる運動、とかかけ声まで付け加えて、多少汗を掻くほど熱心にラジオ体操をやり遂げたのだ。

ひたすら恥ずかしくて仕方なかったのだけど、それ以来、高校生だった僕には、その恥ずかしさがそのまんま、授業中に甦ってくる、という体験に悩まされることになった。普通に体育の授業はラジオ体操から始まる。その度に往来の人の視線を思い出して、心穏やかでいられなくなるのだ。

僕は始めたばかりのギターの腕をもっと磨くために、外の世界を求めて藤木さん達のバンドに拾われた。確かに藤木さんは、当時僕が知っているアマチュア・ギタリストの中で最も上手かったし、いろんな音楽に通じていて、理論や知識が豊富だった。実際に藤木さんには相当鍛えられたし、おかげでテクニックも向上した。フレットの上を踊る藤木さんのフィンガリングは、遂に真似できなかったけれど。

同じように、人前に出るという羞恥から逃れる術は、結局バンドに参加している間には克服できなかった。そちらの方はライブのステージよりも、おそらくそのラジオ体操がブレーキをかけたような気がしてならない。他人の視線を意に介さない藤木さんや、それ以上に敢えて注目浴びることに余念がない上島さんは、僕にとってはトラウマの片鱗を担うのと同時に、やっぱり憧れだった。

今ではもう、衆人の目に曝されることに緊張はするけれど、羞恥に震えるほどのことはない。いつの間にか慣れていた。だから、今ならラジオ体操だって普通にこなせる。

冬の終わり、良く晴れた自分の家の庭先で、四十を越えた男四人が輪になって、野太い声で声を合わせてリズムを取りながら、手を振り足を広げ、身体を回したり飛んだりする。僕の目の前の藤木さんは、相変わらず最も大きな声でかけ声を張り上げている。

その肩越しに、台所の前の庭の物干し竿の前で洗濯物を干すユキちゃんの姿が見える。

彼女は今は九ヶ月目の大きなお腹を抱えてウチに居候している。旦那は今の僕の路上ライブの相棒で、藤木さんとのバンドを離れてからはずっと、その一号と皆から呼ばれているボーカリストと僕は音楽をやっている。

ユキちゃんはラジオ体操が始まると、最初驚いた顔をして僕らの方を向いたが、そのうちに何とも微笑ましそうな表情になると、その笑顔のまま、僕のパンツを干し始めた。日差しは彼女のいる方角のまだ低い位置から射し込んできていて、彼女を見つめようとすると僕は目を開けていられない。

そのまま瞼を閉じて、もう一度布団の中に潜り込みたい、と思ったけれど、ラジオ体操恐るべし。僕の身体はいつの間にか覚醒していた。

 

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