フュージティブを再結成させる、その一大事業に、最後まで欠けたピースが二つあった。

一つはベースの小宮さんの不在だ。彼は皆が大学を卒業していったんフュージティブの活動が止まったすぐ後、思いがけずに亡くなってしまった。その穴は今回、僕がベースにコンバートし、僕が弾いていたギターのパートを明日菜ちゃんが賄うことで埋めた。

そしてもうひとつは、恵子さんだった。恵子さんはフュージティブのオリジナルのボーカリストであり、今は藤木さんの妻でもある。

再結成の話が浮上した時、誰もが恵子さんのボーカルが聴けることを楽しみにしていた。

しかし、恵子さん本人が歌うことを拒否した。理由は、上島さんとの軋轢だ。数年前に上島さんが起こした不祥事を恵子さんはどうしても許すことが出来ない、というのだ。

僕はその恵子さんを説得する役を押しつけられ、何度か彼女と直接逢って話をした。しかし、頑なな彼女の態度を解きほぐすことは適わなかった。もっとも、上島さんに対する恵子さんの感情をなんとなく理解できる僕は、最初から諦めてはいた。

僕がその調子だったから、僕を抜擢した藤木さんも代替を考えていて、それがそのまま卒業ライブの構成ともリンクしていた。明日菜ちゃんが学校で組んでいたバンドのボーカルと、僕の相棒一号、そして、藤木さんと仕事の上で繋がりが深い国民的アイドルを、恵子さんの代わりに選んでいた。

それは本番2日前のリハーサルの時だ。前日から、今度のライブに参加する全バンドが揃って、ゲネプロ、と呼ばれる通しリハーサルをやっていた。今回のライブで音響を任せる会社の資材倉庫を、臨時スタジオに改造して、そこで機材の入れ替えや、人の動きも含めて確認するために、本番さながらの演奏をやってみるのだ。

ライブは三部構成で、第三部はかつて対バンを張っていた三っつのバンドが集結し、そのトリをフュージティブで締めることになっていた。ボーカルは一号が担当し、それはすなわち、これからのフュージティブの姿を示すお披露目の意味もあった。

かつて僕らがステージでやっていたもので、特に人気の高かったオリジナル曲を、続けざまにやることになっていて、事前のバンドのリハーサルも最も時間を割いて行われていた。

そこに、恵子さんは現れたのだ。

集合時間に珍しく遅れて顔を現した藤木さんの影から、恵子さんが顔を出した時の衝撃。そして次の瞬間の何とも言えない歓喜に満ちた空気を、僕は慄然として今も肌に刻み込んでいる。

それはフュージティブのボーカリストは恵子さん、という事実よりも、彼女自身が持つカリスマ性のようなものが、そのリハーサルルームに漂っていた空気の密度を変えてしまったような、そんな気にさせられた。

通しリハーサルは順調に進み、ついに今の恵子さんが、今のフュージティブで唄う時が来た。

簡単な打ち合わせをして、ドラムの三好さんのカウントでイントロが流れ出す。

なんだかそれだけでも音がもたらす緊張が違う。ギターが替わり、ベーシストが変わっているはずなのに、あの頃の音が鳴り出したような気がしたのだ。

そして、恵子さんの声が重なった。

かつて一度声を潰した恵子さんは、それまでの高く金属的な声から、幾分ハスキーだが芯のあるよく通る声になった。それは音楽的な響きを備えて、フュージティブに荘厳な叙述詩をもたらした。声が肉体を震わせて楽器のように鳴り響き、他の音、とりわけリズムに溶け合ってパルスが言葉を紡いでいるような錯覚に陥る。

それは声ではなく、直接胸に訴えかけるような波動に近かった。そして、それが時に冷静に淡々と流れ、又ある時は激情に駆られて縦横無尽に暴れ回る。その濃淡が目の前を色濃く染めて戸惑っている内に、音世界に観客は飲み込まれた。

その時は、ステージに参加するメンバー、スタッフがみな、そこに飲み込まれていった。

コレがかつてのフュージティブの音だったのだ、と僕は無意識の内にレイドバックしていく。するとなぜか、僕の指から前任者の小宮さんの音が流れ出してきたような錯覚に囚われた。たしかに機材は彼のものだが、だからといって同じ音が出るわけではない。それにもかかわらず、僕に小宮さんが憑依したような気さえした。

そこに絡みつく藤木さんのギター、上島さんのキーボードはそれぞれ挑発するように色をぶつけて壊し、又寄り添っていく。本当にアンサンブルという意味で引き出しの豊富な、おもしろミュージシャンだと思う。しかも二人のコンビネーションは他の追随を許さない程、強固な壁を聳えさせている。

新人と言ってイイ明日菜ちゃんも、僕らのバイブスに飲み込まれたように、神がかりに艶のあるフレーズを奏でていた。彼女自身が、戸惑うほどの自分のあでやかな音に、いつしか自然と顔がほころんでいく。

ラインナップに上げた五曲、ノンストップで通し終わると、自然と周囲から割れんばかりの拍手が起こった。スタッフも含めて、そこにいる者はフュージティブのメンバー以外、みなが立ち上がって拍手していた。

その中心で、恵子さんは静かに笑顔を浮かべて、深々とお辞儀した。

そして、ひとしきり拍手が終わると、緊張した空気が解けて、今度は歓喜の空気が支配した。やっぱり恵子のボーカルだな、と誰かが言って、みなが同意する。それに笑い顔だけで応えながら、恵子さんは僕の所まで歩いてきた。

僕より少し背の低い恵子さんは、見上げるように僕を見つめて、意味深な笑顔を浮かべた。相変わらず、年齢を感じさせないかわいさを湛えた美人だ。僕は一瞬、ドギマギする。

「貴方に言われたとおり、フュージティブを終わらせに来たわ。コレで善いんでしょ」

僕は唖然としながら、その真意には手が届かず、ただ頷いただけだった。

フュージティブを終わらせるために、もう一度唄ってください、とたしかに僕は恵子さんに言った。いずれにしてもベースが僕で、明日菜ちゃんがギターで加わった時点で、もうかつてのフュージティブはあり得ないのだから、せめて新しい門出を迎えるために、旧来のフュージティブにピリオドを打ってください、と僕は恵子さんにお願いしたのだ。

大学を卒業と同時にフュージティブは事実上解散したが、ハッキリと明言したわけではなく、解散ライブもやらなかった。いつか又やるかも知れない、という漠然としたものだけで、曖昧にしてしまったのだ。

その不完全な終わり方にケリを付けることは、きっとこれからの僕らには必要なのだ、とそんな気がしたのだ。

恵子さんがそのことを受け入れてくれたことは、本当に嬉しかった。そして、想像した以上に恵子さんはフュージティブを体現していた。やはりピリオドを打つにしても、未来を新しい方向へ導くにしても、この瞬間がなくてはいけないと、僕は確信した。やはり間違っていなかった、と思えたことがなにより、僕はホッとしたのだった。

しかし、奇跡はその日限りだった。

僕はそこまでは予想していなかったはずだけど、その現実が、目の前に突きつけられた時、しかし不思議とホッとしたのも事実だった。恵子さんのいないフュージティブに、僕らはその時点ですでに馴れてしまっていて、彼女がもたらす奇跡と同じくらい、用意周到に準備したステージを再現させることも、重要な意味を占めていたのだった。

 

 

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