たっちゃんに一日連れ回されたんでしょ、と開口一番恵子さんに切り出されて、僕はやはりしまった、と思った。何でこういうことだけ、藤木さんは恵子さんに喋っているんだ、と恨みがましく僕は思った。

恵子さんにモモちゃんを紹介する、というのが大きな建前で、両者にはそれがフュージティブ再結成への説得であるということは、なるべく表に出さないようにと努めていた。そして、何とか主導権を僕の手中に収めておくという目論みで、話のきっかけは僕からと、いくらか前のめりになっていた。その鼻先を、恵子さんは強かに打ってきた。

最初から恵子さんには見透かされていたのだろうし、モモちゃんには最近の僕周辺の事情についてはあらかた話してある。例えば上島さんの事件のこととか、そういう突っ込んだ所はぼやかしてあっても、何が滞っていて、何処へ向かおうとしているかは、逐一話してきていた。

ただ、恵子さんが機先を制したように、そういう建前も、いくらかモモちゃんの機嫌に配慮した企みも、藤木さんの突然の呼び出しで、ほとんど泡と化していた。その腹立たしさもいくらかあって、そうなんですよ、と恵子さんに返事して、やはり会談は恵子さんペースで始まってしまった。

恵子さんが指定してきた店は、サンポートの最上階にあるレストラン街の中の和食の店で、僕らが待ち合わせの時間ちょうどに店に着くと、既に恵子さんは席に着いていた。ケーブルテレビの仕事か何かでその店を紹介したことがあるらしく、顔が利くから、ということで段取りは全部恵子さん任せだった。

料理も既にコースが予約されていて、僕らを案内した割烹着を着た店員が、それでは御料理をお持ちしてよろしいですか、と恵子さんに尋ねると、とても福与かで柔らかな声音でお願いします、と恵子さんは言った。

僕らは二人ともそれぞれにコートを羽織っていて、それを脱いで壁にあるハンガーに掛けるのに手間取っている内に、彼女がモモちゃん、と恵子さんは訊いてきて、ああそうです、と僕が言う内に二人は挨拶を交わしていた。

僕が席に着くと、もう本日の会合の主な目的は終わったようなもので、あとは出てきた料理を平らげる以外に無いように思えた。

恵子さんは、人に尋ねるのが商売みたいなものだから、手慣れた様子で、いつから付き合っているのかとか、そういうありきたりなことをモモちゃんに尋ねていた。

その一つ一つに、モモちゃんは意外に丁寧に答えていた。少なくともその口調や、表情に不機嫌さを浮かべてはいなかった。そして、答えを引き出す恵子さんの相槌がまた絶妙で、随分と砕けてはいても、テレビでよく見るインタビューを生で見ている感覚に陥った。

だからなのか、僕は暫くモモちゃんのことばかり気にしていた。

よく考えると、モモちゃん以外の誰かを交えて逢うことが、僕らは極端に少ない。モモちゃんが僕の家に来る時は、だいたい妹か、今ならユキちゃんが家にいて、それなりに会話することはあっても、一度外に出かけると、僕らは二人の空間と時間を頑なに守り続けている。お互いの知り合いや友人に会うことはあっても、それは長続きしない。

それは意図したわけでは無く、ある程度休日が重ならないことも影響しているのだろうけれど、どちらかというとふたりきりがデートの当たり前だと思っているだけだ。他人を邪魔とは口に出さなくても、そういう意識があるのは間違いない。それほど排他的な付き合いを、僕は随分前に卒業していた気がしたけれど、現実には何も変わっていない。

だからなのか、モモちゃんが他人に対して敬語を喋る所を見るのも、あまり見慣れていないのでとても新鮮に感じるのだ。看護師という職業柄、モモちゃんも人当たりは朗らかで当たり障りない。だから、敬語もしっかり使えていて、年齢の差を感じさせない二人の会話はとてもスムーズで、軽やかにぴょんぴょんと跳びはねていくように会話が進んでいく。見た目では、あっという間に二人は打ち解けて、連帯感のようなものまで感じてしまう。

そして、今日初めて、モモちゃんの笑顔を見た。ちゃんと普通に笑うモモちゃんの笑顔だ。少なくとも、藤木さん達と逢っている時の愛想笑いとは違う。どちらがそうし向けているのか判らないが、どうしても越えられない壁が藤木さん達とモモちゃんの間にはあって、明らかにその壁をお互いに苦手としている。その壁を前にして愛想笑いを浮かべるモモちゃんの表情は、僕すらも壁の向こうへ追いやってしまっていた。

一方の藤木さんは、頭では分かっていて無視するつもりなど毛頭ないのに、結果そうなってしまう。自分のこと、が優先してしまうのだ。それは僕には良く分かる。まったく悪気どころか、もしかすると藤木さんは気を遣っているつもりなのかもしれない。でも、やはり見えない壁は絶対的に存在していて、致し方なく両者を隔ててしまうのだ。

いつも一緒にいるはずの夫婦である二人の、それぞれに対してモモちゃんが見せる、全く正反対の反応を見て、僕は何となく、取り残されたあげくに自分の拙さを感じてしまっていた。それは、おかしな話だが、僕は藤木さんと恵子さんのまるで正反対な性格が、結局二人を惹きつけていることに気がついて嫉妬したからだ。

孤高の存在で走り続ける藤木さんと、人当たりに関して他の追随を許さない恵子さんは、お互いがお互いを補い合う関係にあって、それだからこそ一緒にいられるんだろうな、と僕はそんな風に思ったのだ。

僕とモモちゃんの姿は、だったらそんな図式の中に当てはまるのだろうか?もういい歳をして、そういう気遣いまでお互いに想定して、二人の将来を見据えているのだろうか?

僕が打ちのめされるのは、こういう時なのだ。くだらないといえばくだらないことかもしれないが、世間はくだらなさの積み重ねで前に進んでいる。

あれほど不機嫌だったモモちゃんが、運ばれてきた料理を前に、僕にではなく恵子さんにこれって何ですか?と積極的に尋ねている。今日は海鮮懐石だから、と丁寧に食材と料理法をモモちゃんに教える。気がつくと、会話の中では僕は完全に蚊帳の外だった。

それも恵子さんの戦略なのかもしれないと気がついた時にはもう既に遅く、僕は何も言い出せないまま、やはり料理をひとつずつ平らげていった。モモちゃんはその間、ずっと僕の方は見なかった。

 

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