去年の暮れ、恵子さんに最初に会った時に、僕はまず確認しておかなければいけないことがあった。

「藤木さんは、恵子さんが今度のライブに出るつもりはない、って云ってましたけど、そんなことないですよね」

僕はいくらか自分の気分を軽くする為もあって、冗談に紛らせて済ませてしまおうと笑いながらそう言った。

恵子さんは、まずそう切り出した僕を、うっすらと笑みを浮かべたままじっと見つめて、視線を外したかと思うとため息をついた。

「たっちゃんと私はもう長い付き合いなのよ」

たっちゃんというのは藤木さんのことで、二人が結婚する前からずっと、恵子さんはそう呼んでいた。藤木さんのことをたっちゃんと呼ぶのは、この世で唯一、恵子さんだけだ。

そりゃ知ってますよ、と云った後ハハハと乾いた笑い声を発てた僕を、恵子さんはあざ笑うような目つきで見つめた。そんな視線を送る女の人を、僕は久しぶりに見た。僕はどうも失敗したらしい、とその時気づいて慌てた。

「やっぱり上島さんのことがその理由ですか?

冷静に頭を整理できないまま次いだのがその台詞で、僕はさらに失敗を重ねてしまったと後悔した。話し合いが不調に終わろうとも、なるべく上島さんの名前は出さないようにしようと思っていたのを、慌てふためいた僕はあっさり破ってしまった。

「そこまで判ってるんなら、話し合う必要ないじゃないの」

呆れたように恵子さんは言って、じゃあねと席を立とうとした。僕は待って、とつい大きな声を出して、恵子さんの手を掴んだ。もしかすると僕はその時初めて、恵子さんに触れたのかもしれない、と一瞬思った。それを確認する間もなく恵子さんは、冗談よ、と鼻で笑って居住まいを直した。

久しぶりに逢ったんだから、とテーブルの上に頬杖をついた恵子さんは、探るような眼差しで僕を見つめた。

ぼくらは高松駅の南側に昔から残っているビルの二階に、古くからある喫茶店で相見えていた。窓のすぐ外には中央通りがサンポートのフェリー乗り場にぶつかる信号が見えていて、その向こうには玉藻城の石垣が見えていた。

この喫茶店は僕がフュージティブに初めて参加した頃からここに、このままの姿で存在していた。

加入募集の張り紙を、高松の楽器店の彼方此方に貼って回っていた時、僕は上島さんに声を掛けられた。掲示板に貼ろうとしていた自作のチラシを彼は手にとって、僕に笑いかけながら、オレたちのバンドに入ってみるか?と云ったのだ。

僕はその申し出をかなり肯定的に受け入れたのだけど、他のメンバーにも聞いてみないといけないけど、たぶん大丈夫だから、と上島さんは曖昧に済ませた。それで次の日曜日に、顔合わせをすることになって、上島さんが指定したのが、この喫茶店だった。あの時は、僕は唯一の武器だった青いストラトを肩に提げて、落ち着かない古めかしい椅子に座って上島さんを待っていたのだった。

今はその椅子も変わって、多少は小綺麗にはなっていた。昔はマスター一人しかいなかったのが、太ったおばさんのウエイトレスが一人増えている。窓の向こうの光景も、かつてはJRのビルがあってビジネスホテルがあって、その向こうの琴電の築港の駅は隠れていたのが、今はだだっ広く開けていて、黄色い電車が入ってくるのが見えていた。

恵子さんがその喫茶店を指定してきたのには、きっとワケがあるんだろうし、もしかすると何か仕掛けがあるような気もしないではなかった。

恵子さんは、丸顔でくりっとした瞳に、笑うと八重歯が覗く、美人というよりはカワイイ立ち姿をしている。初めて恵子さんを見た時は、あまりに典型的な当時の女子大生然としたトレーナーにスカート姿だった。高校生の制服しか身近に見たことのなかった僕は、それでも大人の雰囲気を感じてドギマギしてしまった。その頃は女子高生よりはずっと、女子大学生というブランドの方が幅をきかしていた時代だったのだ。

それが一緒にバンドをやることになって、行動を共にするようになると、ちゃんと計算高い部分を兼ね備えている、本当は世辞に長けた頭のいい女性だと知った。見た目はやや肉付きがよく、その面立ちから頭を撫でられて喜ぶ子犬のような印象だが、その裏にはちゃんと狡猾な狐の如く強かな視線を秘めていたのだ。

ステージ上の恵子さんは、いくらかその狐の部分を突出させて、見た目を逆手に取ったギャップで客席を煽っていた。一時期、ロリータファッションに身を包んで、荘厳な演出で登場して、歌い始めたらデス声で叫びまくる、というスタイルで、客席の度肝を抜いていた。一瞬唖然とする客席の本当に微妙な間を、恵子さんはすこぶる愉しんでいたのだ。

もちろんその裏に、藤木さんの差配があったのは間違いないのだけど、恵子さん自身、自分の姿形をちゃんと計算に入れていて、おもしろがっていた。それがフュージティブの魅力でもあったし、客席もそれを望んでライブに訪れていたのだ。

だから最初の内、僕は恵子さんに異性としての憧れを抱いていたのだけど、いつの間にか霧散したのは、藤木さんと付き合っていることを知っただけが理由ではなかった。恵子さんに対する恐れ、のようなものが、いくらか上回ってきたのが正直な所だった。もちろん、それを全く否定的には思ってはいなかったけれど、高校生の僕には、敷居が高すぎたのだ。大人の女性に太刀打ち出来るほど、僕は経験を積んではいなかった。

上島さん達が大学を離れる頃、僕もちょうど卒業で、自ずとフュージティブは何もしないまま消滅した。その後上島さんと恵子さんは、一緒に東京に出て活動し、いつ頃からかは知らないけれど、また香川に戻ってきた。東京で、アナウンサーというか、リポーターのような仕事をしていた恵子さんは、こっちに戻ってからもフリーのアナウンサーとして、時々テレビに出たりしている。

僕は卒業して家を出てからしばらくは名古屋の楽器店でアルバイトをしていて、そこで一号と知り合った。行く先を何かに求めて暮らしていたわけでは無かったから、出てきた故郷というようなものも全く意識せず、その十年近い日々に、フュージティブのメンバーに何があったかはほとんど知らない。両親が交通事故で亡くなって、妹の離婚騒ぎなどがあってついに帰郷を果たしてからも、一度切れてしまった繋がりはなかなか元には戻らず、本当につい最近になるまで、僕は彼らのことを何も知らなかった。

何十年振りかの恵子さんは、見た目は全く変わらず、相変わらずカワイイ顔をしている。肉付きが好いのも変わらず、服装は落ち着いたワンピースなどを着込んでいるが、印象は大学生のまんまだ。

ただ、声の質がいくらか深みが増したというか、あのデスボイスの後、喉を壊して幾分ハスキーな声に変わったのだけど、それに厚みが加わっていた。去年の夏、上島さんとセッションした時、本当に久しぶりに、生の恵子さんの声に再会した。昔からよく通る声量と抜群の音程感を持っていて、僕の周りの高校生とは格段に違っていたのだけど、それが更に深化して、もっと声質自体が饒舌に語るようになっていた。

僕は今唯一のボーカリストとして一号と行動を共にしているが、あいつとはまた違う趣で、誰にも負けない声を誇っていた。この二人がいれば、他のボーカリストとはやれないな、と僕はそのセッションの時思ったぐらいだ。

やっぱり恵子さんの歌は上手い。

だから、卒業ライブのついでのように始まったフュージティブの再結成だけど、肝心要として恵子さんには是非参加して欲しいのは、僕自身の正直な、切望でもあったのだ。だからなるべく穏便に、実を取りたいと願っていたのだけど。

 

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