正確には前夜、土曜日の夜に僕のスマホに入ったメールだ。送信者は、恵子さんの夫、藤木さんだった。

彼とも昔バンドをやっていて、僕にとってはギターの師匠みたいな存在だ。高校生になって始めたギターの腕を磨くために、学校から外の世界へ向かっていこうとした時、僕を拾ってくれたのが藤木さんが組んでいたフュージティブというバンドだった。そこで藤木さんはギターを弾き、曲を書き、緻密なアレンジを施してライブハウスで結構な歓声を浴びていた。恵子さんはそのフュージティブで歌っていた。メンバーはみんな同じ大学生で、僕一人だけが高校生だった。その年齢差が、未だに多少のプレッシャーとなって僕にのしかかっていた。

そんな僕もあれから何十年かの時が過ぎ、知り合いのツテで、明日菜ちゃんという女の子にギターを教えるようになった。その明日菜ちゃんと、一昨年辺りからセッションと称して、いろんな繋がりをかき集めてスタジオで音を出すようになった。フュージティブのメンバーと再会したのがそのきっかけだったのだが、いつの間にかそのセッションは、フュージティブの同窓会と化していた。

明日菜ちゃんは今年の春には東京の短大へ進学が決まっていた。それならば卒業ライブを開こうと誰かが言い出し、セッションで繋がりを持った大人達がその高校生に群がり始めた。その中心にいつの間にか藤木さんともう一人、やはりバンドでキーボードを弾いていた上島さんという人が収まり、卒業コンサートはそのまま、フュージティブの再結成ライブに変わっていた。

藤木さんは恵子さんと一緒に高松に居を構えているけれど、東京のプロダクションと契約しているギタリストで、いろんなアルバムに参加したりアーティストに着いてツアーに出たりしている。それと平行して高松でギター教室の講師をやっていて、東京と香川を行ったり来たりしている。

それが、卒業ライブの話が出てから、途端に仕切り始めて、去年の末ぐらいからはずっと香川に居座っている。東京の仕事をだいぶキャンセルした、と冗談めかして言っていたけれど、本当かどうかは判らない。

ライブのメインは明日菜ちゃんをサポートするという名目でフュージティブが務めるのだが、もっといろんなバンドが集うオムニバスなものにしたい、と藤木さんは構想を練っていて、今はちょうどいろんなバンドに声を掛けている最中だった。その全てのバンドと明日菜ちゃんが共演することにして一応の卒業ライブという体裁を保っているが、元々藤木さんにはバンドだけでなく、ライブそのものをプロデュースしたがる癖があって、それをここぞとばかりに発揮しているのだ。

それは恵子さんに聞いた話だけれど、藤木さんは元々セッションで顔も知らないアイドルの為にスポットでギターを弾いたり、ありもののスコアを再現するライブのツアーミュージシャンを、好んでやっているわけではない、らしい。仕事だから仕方が無い、と割り切っている節があって、そういうところを少しも表には出さないけれど、本当は何もかも全て自分でやりたい、プロデューサー志向の強い人なのだと、恵子さんは言っていた。

確かに、フュージティブが現役の頃も曲は全部藤木さんが書いていたし、アレンジや、ライブの時の曲順、演出めいたギミックなども彼の手に依った。他のメンバー、特に藤木さんに比べれば初心者同然の僕なんかは、ただただ彼についていくだけだった。

だから、その欲求不満を今回のライブで発散しているところがあるのだろう。アマチュアのライブの域を今にも逸脱しそうなほど、壮大な計画を練っていて、実現に向けて奔走している。

ただ、藤木さんだけで奔走してくれればいいのだけれど、決まって僕を呼びつける。あるいは、何の連絡も無く、家に帰ると居たりする。上島さんといつも行動しているのだけど、そこに僕を巻き込みたがるのだ。

僕は今妹と、両親が残した家で暮らしている。そこに、一緒に路上で歌っている歌い手の、みんなに一号と呼ばれている男と、ユキちゃんという彼の嫁さんが同居している。

そもそものきっかけの明日菜ちゃんが、毎週土曜日に僕の家にギターを習いに来ていて、それもあっていつの間にかライブの事務局みたいな場所が、僕の家になってしまっていた。それもこれも、連絡先は全て藤木さんのケータイ番号にもかかわらず、実際に逢う場所は僕の家を指定してしまう彼らのせいだった。

去年の秋口までは、僕と妹だけが暮らす慎ましくひっそりとした家だった。それが、ユキちゃんが一号の子供をお腹に宿して、結婚の承諾得るために二人して彼女の実家に赴いて、返す刀で一号が父親に殴られて帰ってきた。結婚が暗礁に乗る中、その不安からユキちゃんが体調を崩してしまった。それに手を差し伸べたのが出産経験のあるウチの妹で、それ以来、一号夫婦がウチに同居するようになったのだ。

それがきっと人を呼ぶきっかけになったのだろう。時期を同じくして卒業ライブの話が持ち上がり、話が進むにつれて、藤木さん達がしょっちゅう顔を出すようになったのだ。ウチに来れば、僕が居なくてもユキちゃんかウチのちょっと粗野な妹が相手をしてくれる。

理由があってライブの話を恵子さんに出来ない藤木さんと、そのきっかけを作った上島さんが避難場所を求めるように、ウチに足を向けるようになったのは、半ば必然だったのかもしれないとは思うのだけど。いい加減、身重を抱えている家の人間としては、賑やかな以上に迷惑だと、時には思う。

もちろん、そんなことを年上で、またライブで熱くなっている藤木さんに云えるはずはない。

 

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