出たり入ったり、その繰り返し。もっと他に、露天風呂の愉しみ方はあるだろうに。

そう思ったオレは立ち上がり、彼女の方へと歩くと、隣に並んで腰掛けた。もう、いつの間にか、お互いの裸体にオレたちは慣れてしまっていた。

「のぼせちゃっているんじゃない?」

「少し。でも、せっかくの温泉だもの」

あんまりこういう所に来たことないんだ、と彼女は呟くように言い、そしてまた、ふーっ、と息を吐いた。

「ウチはパパがずっと単身赴任だし、ママもパートが忙しくて、旅行とかあんまり行ったことなかったの。覚えているのは・・・」

彼女はそこで暫く考え込んだ。そして、オレの方を向いた。

「福井のおばあちゃんのところに遊びに行った時ぐらいかな。それも旅行って感じじゃなかったなぁ。温泉なんて、スーパー銭湯しか行ったことない」

ヘヘヘ、と彼女は照れたように笑った。

「だったら、ちょっと強引だったかもしれないけど、誘うだけの意味はあったのかな」

強引?とオレの言葉に、彼女は訝しそうな表情でそう問い返した。オレの思惑を、表情で読みとろうとするように、彼女の瞳が探るように動く。

歳の差とか、とオレは言って口ごもった。彼氏の存在を、オレはその強引と言う言葉に匂わせたのだけれど、確認するように今この場に、彼女に恋人を思い出させるのは、なんだか癪だった。せっかくのチャンスを、オレはやはりこの手にしたまま、逃したくないだろうな、と気が付いて、また躊躇している自分に苦笑した。

「経験が乏しいって、温泉とか、ギターとかだけじゃないから」

急に声のトーンが変わった。

彼女はこちらがどぎまぎするほど、言葉が明瞭で、比較的ハッキリと物事の白黒をつけるような響きを込めた言葉を放つのが常だった。彼女のギターの音がそれを如実に現していて、一音一音ちゃんと響きを持たせて確実に解き放つ。曖昧なところがあまり無く、わりとリズムもしっかりしている。例えば、ジェフ・ベックのように、感覚的なリズムや音と音の隙間がグラデーションするような響きとは、正反対の音だった。それは鍵盤楽器の音程感覚に近くて、だからなんとなく、オレは彼女に惹かれたのかもしれないと、そんなことを思った。

それにしては、まるでこの湯煙と空の灰色が解け合ったようなこの場所に影響されたように、どことなく、彼女の言葉が次第に曖昧に溶け始めている。本来彼女が前に出してきた性質はそのまま芯の部分には残っていもするけれど、何か翳りのようなトーンがそこに混じったのを、オレの耳は感じ取ったのだ。

「さっきも言ったけど、私って小さい頃、本当に乱暴な子供だったの。女の子なのに、男の子とばっかり遊んでて、しかも喧嘩ばっかりしてて」

そして勝っちゃうんだよなぁ、と彼女は苦笑交じりに言った。

「一度、近くのお地蔵さんに跳び蹴り食らわせて、足を捻挫したことがあるんだ。それも水子地蔵」

と言って彼女は吹き出した。オレも思わず、一緒になって笑った。

「そんなだから、昔からもう学校の先生やパパやママにも怒られてばっかりで、男の子たちも怖がっているし、女の子の友達もあんまりいなかった」

孤独、という言葉が彼女の顔には浮かんでいたけれど、オレにはそれがひどく不釣り合いに思えた。オレが彼女と会う時、彼女はいつも誰かに気にされていた。彼女の周りには必ず誰かがいて、そのことがとても似合っていた。

おそらく、オレでなくても彼女の顔立ちや仕草に惹かれる男たちは多いはずだ。彼女が放つ華やかさは同性もきっと惹き付けるに違いない。彼女がギターを持っていなくても、注目を浴びるだけの素質を備えている。彼女がもし、その下心を開花させて、テレビにでも出るようなことになれば、きっと見栄えがするだろうな、とそんな想像は簡単に出来た。

そんな彼女に、孤独や、疎外感のようなものは、似合わない気がしたのだ。さっき、彼女の表情に翳ったものが、その違和感を強調しているような気さえした。

「だから、私は、誰かに必要にされている、っていう感覚とか、その・・・」

急に彼女は恥ずかしそうに俯いた。本当に照れたような顔を見るのは、初めてだった。

「好き、って云われるのに、私は慣れていない」

そう言うと一層彼女は顔を背けた。よっぽど恥ずかしかったのか、とオレは彼女の横顔をまじまじと見続けた。だが、彼女は惜しげもなくオレに裸体を見せ、豊満な乳房や下腹部の翳りになんの覆いもしていなかった。なんだかそのちぐはぐさが、オレには奇妙でもあり、微笑ましくも思えた。

「子供の頃って、みんなそうだよ。男も女もない時代だから」

そうかもしれないけど、と言うだけで、彼女はこっちを見ようとはしない。ふと気付くと、いつの間にか、雪は止んでいた。厚い雲はそのまま、また再開の気配を窺っているようだったが、とにかく今は小休止に入ったようだ。

「でも、だから、好きとか言われると人一倍、嬉しい」

トモとか、と彼女は恋人の名前を出して、言葉に詰まると、ハッとしたような表情で、オレの方を見た。今気付いたようなフリをして、きっとそれを自分の口で告白することで自覚するのを、ただ恐れていただけなのだろう。

自覚した途端に、オレと彼女の関係は、罪の意識にまみれる。

ただ、オレは彼女にちゃんと、好き、と言ってはいない。

今までそれを聞かずに、この場所までやってきたのは彼女の罪かもしれないが、オレの罪は、きっと、言うとか言わない以前に、本当は彼女のことを好きかどうか、そのことをちゃんと自分ではわかっていない、という事実だろう。

イイよ、とオレは、何に対してかを曖昧にしたまま返事をした。それよりはずっと、彼女の声を聞いていたい。

「私がちゃんと付き合った彼氏は、トモで二人目。最初の人は、中学の時の先輩で、その人に好きって言われて、私は許された気になったのね。上手く言えないけれど、自分の中に恋愛とか、そういうモノを受け入れていいというか、そういう関係を築いてもイイって云う感じ」

「コンプレックスを解放された、というようなことかな?」

そうそう、と彼女は何度も頷いた。コンプレックスって、その通り、と付け加えた。

「だから、その人には、私の処女を捧げた。そういうのって、私はどうでもいい、というか、そんなことないけど、経験できないことって思ってたから、感謝の代わり」

なぜかオレはそのことに、もったいない、という感想を抱いた。

「向こうは結局、ただヤリたいだけ?みたいな感じだったけど」

オレは一瞬にして、その時の欲情した彼女と、彼女を組み敷く見知らぬ男を想像した。それはあくまで想像で、きっとどこかで見たAVとか、映画のワンシーンとかの焼き直しのはずなのに、くっきりと頭の中で象を結んだことに、オレはひどく嫌悪を抱いた。目の前の彼女が、潤んだ目を閉じるその瞬間を想像して、オレの胸が何か、得体の知れない叫びをあげた気がしたからだった。

きっとオレはその組み敷いた男と、まったく同じに重なるのだろう。それを鼻白みながらも、どこかで責めている自分を、嫌悪している。

「トモは、ちゃんと愛してくれるんだ」

そういってまた、オレの目を覗き込む。イイよ、続けて、とオレはまた目で合図する。ごめんね、と彼女は口にした。

「私きっと、いつか罰を受けるんだろうな」

大丈夫だよ、とオレは言ったが、彼女は首を振った。その言葉はオレのことを気にしたのではなかった。

「今頃、トモはセンター試験前の追い込みだろうな。クリスマスに逢ってから、受験に集中するからって連絡取ってないけど、アタシはここで、こんなコトしている。トモが知ったらきっと、殺される」

自嘲したように、彼女は笑いながらオレを見た。その目はきっと彼女にはなんの意図もないのだろうけれど、共犯者としての自覚を促すような官能に満ちた色を称えていた。何かを引き替えに、オレに責任転嫁するような色。

その視線を愉しむように、オレはちゃんと年齢を重ねているのだろうか?

「でもね、私、上島さんに誘って貰って、嬉しかったし、愉しみだし、今も楽しい」

ホントだよ、と彼女は言うけれど、気が付くと、オレはもうさっきまでの彼女のイノセンスを、感じられなくなっていた。

「このまま、私は、このままなのかな、って最近よく思ってて、ギターを弾き続けて、トモとずっと付き合って、それ以外は適当に就職とかして、結婚とかして。それもきっと大事な人生なんだけど、それだけなのかな、って」

その一つ、と彼女は最後にぽつん、と言葉を落とした。

「私って、浮気の出来る女なのかな?って試してみた」

いつの間にか、オレはその相手に選ばれていた。光栄に感じるべきなのか、結局、どんなに年齢や経験に差があっても、オレという男は常に女の足下にひれ伏すという運命を受け入れるべきなのか。

「可能性」

それきり、彼女はまた一人ヘヘヘ、と笑いながら、湯の中に滑り落ちていき、バシャバシャバタ足を繰り広げて、反対側の縁まで行ってしまった。全身から滴を垂らしながら、こちらを向いてもう一度、ヘヘヘ、と笑った。

 

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