不意に、肩に何かが触れる感触がして、オレは振り向いた。そこには明日菜ちゃんの頭があった。横を向いたまま、彼女がオレの肩に頭を乗せていた。濡れた髪が、オレの背中に垂れかかる。オレの肩から少女から脱皮しかかった女の曲線がしなやかに延びている。その終点のつま先は、ゆったりと湯面の下に沈んで、波紋を起てて遊んでいた。

不思議なことに、オレと彼女が接触したのは、これが初めてだった。何かの機会に、手が触れたり、肩が当たったりしたことはあるかもしれないが、意識的に触れあったのはこれが初めてで、そのことを意識した途端、オレの方がひどく狼狽してしまった。

オレは何かをすべきなのだろうか、と焦っていたのだった。

きっと間違いなく、彼女の方からの接触は何かのサインだろうし、それが全くの無垢な仕草だったとしても、意識すべきオレは、ちゃんとそれを形に促してあげるのが、男の、歳上の、役目ではないか、と思ったのだった。

でも、なぜかオレは、準備が整っていない気が未だにしていて、同時にがっかりさせてはいけないと言う切迫感にも駆られ、情けないほどにあたふたし始めていたのだった。

なのに、オレの中心はお構いなしに、立派に役目を果たそうと隆起を始めていた。それを押し止めるほど、オレは冷静でもなかった。

こんな時、藤木ならどうするだろう、なんてことを考えて、一層混乱した。なんで今、藤木を思い浮かべないといけないのだ?でも、アイツだって今のオレ以上に奥手に決まっているから、こんなことになってもまず手も足も出ないだろう。といって、オレだって同じじゃないか、と思い直して、その思考がぐるぐると巡る。

確実に、オレの鼓動と股間だけは、てんでバラバラに気勢を上げ始めていた。

上島さん、ともう一度名前を呼ばれてオレは我に返った。さっきよりは幾分、冷静な声音だった。

何?と応えた声が、震えていてる。

「もしこのことを、例えば、先生とか、藤木さんとか知ったらなんて言うかな?」

え?と問い直しても、応えられそうにはなかった。そして、彼女自身も、答えは求めていなかった。かわりに、キャハハ、とかわいらしい響きを立てて笑い声を発てた。

完全に、弄ばれているな、とオレは思う。それにしても、オレはいつの間にこんなに、情けない男に成り下がったのだろうか?オレはただ、彼女の笑顔を横目で見やるしか、手がなかった。

「藤木さんとは、大学で知り合ったんでしょ?」

ようやく応えられそうな問いかけに、オレは幾分かホッとするけれど、未だ肩に彼女の体重の何分の一かは凭れ掛かっていて、それが次第に当たり前のように慣れ始めていた。

「腐れ縁だね」

「でも、一時は疎遠になっちゃんでしょ?ってセンセイに聞いたけど」

そんな話を、大沼にしたっけ?となんとなく思いながらも、確かにそれは事実だった。

「一応私も春から大学生なんだけど、未来のために訊いておきたいんですけど、なぜなんですか?」

「なぜって?」

「理由、って云うほどのことでもないんですけど、夏のセッションの間って、まるで同窓会みたいで、みんなまず久しぶりだなぁ、から始まってて、でも音を出すと、全然ブランクとか感じなくて、合う所は息が合っているみたいな感覚が、すごく不思議で」

「でも確かに、オレたちは久しぶりだったんだよ。オレはこっちに帰ってきて十年以上になるけど、あいつ等には本当に滅多に合わなかったんだよな。すれ違うとか、そういうのもなくて、藤木とだって、連絡は取り合っていたけど、音を出すのは、今度のライブが大学以来、ってことになるな」

去年の夏、明日菜ちゃんを媒介に、久しぶりにスタジオに通ったけれど、恵子のこともあって藤木とは音を合わせることは出来なかった。それ以前、というと、まず間違いなく、スタジオに入るなんて皆無で、アイツがギターを持って、オレがキーボードを弾く機会なんて、ほとんど記憶がない。事件を起こす間には何度か、アイツ等夫婦の部屋に遊びに行ったけれど、もうお互いに楽器を挟んで会話する、ということすらなかった。

 

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