考えてみれば、恵子もそういう存在だった。オレたちのバンドの紅一点、フロント・ディーヴァ、というだけでなく、なんとなく恵子の存在があってこそのオレたち、みたいな感覚を共有しあっていた。バンド自体は、藤木の音楽性が強引なぐらい引っ張っていたのだけど、それを実現する最後の鍵が恵子で、そのことは藤木も充分に認めていた。それ以上にオレたちも、恵子に頼っているようなところもあって、さらにはみんな多かれ少なかれ、恵子のことに恋愛感情を持っていて、半分以上は諦めていたけれど、もしかすると、あわよくば、という考えがなかったわけではない。

それでも、バンド結成の早い段階で、恵子は藤木と付き合うようになっていたし、そのことをはっきりと確認した時、みんながっかりしたのと同時に、なんとなくその収まりの良さを納得したものだ。結局藤木以外のメンバーはみな、音楽で繋がっていられる、ということで心の埋め合わせをしたのだった。

それがいつの間にか、恵子の存在よりも、恵子のボーカルがウチのバンドには欠かせない、という風に落ち着いたのだけど、始まりはやはり、あの叶わなかった恋慕があったのだと思う。特別な存在として、今でもオレたちの胸の片隅にはずっと引っかかっていたのだった。

不思議なことに、まったくオレたちのそういう感情とは関係の無かったはずの大沼でさえ、恵子という存在を特別視していたことを、最近初めて知った。

ちょうど、明日菜ちゃんのプレゼントが完成して、そのお披露目に彼女以外のセッションメンバーで集まった時のことだった。その時は、高校生がいないから、という理由で、古馬場にある居酒屋の座敷を予約して、酒を飲んだのだが、オレたちフュージティブのメンバーに限って言えば、おそらく大学を卒業して以来初めて酒宴だった。

ギターを披露するのにそんなに時間はかからず、後はさながら昔話に花を咲かせる、という同窓会の様相を呈した。

そこで誰が言い始めたのか、恵子がいないぞ、と藤木に言って、オレ以外のメンバーが騒ぎ始めた。大沼がいて、なぜ恵子がいない、といって藤木に詰め寄るヤツもいた。

仕方がないから、オレがその事情を告白したのだけど、本当のところはみな、薄々気付いていたのだった。オレの逮捕のニュースは地方紙の片隅に小さく載っていたらしく、それに気付いた者もいたというわけだ。

今大沼に説得して貰っているんだけど、というと、矛先はすっかり大沼に向いてしまって、どうしても説得しろ、とか、失敗したら香東川に沈めるとか、最年少の使いっ走りに堕してしまった大沼がサンドバック状態になっていた。

分かってますよ、と大沼は赤い顔をしてプレッシャーをはねのけながら、オレだって恵子さんに唄って貰いたいんですから、とそう言った。

「アレから何度か、女性ボーカルでギターを弾いたりしたんですけど、どうしても恵子さんと較べてしまうんですよね。実力はそこそこでも、なんというか存在感のようなものが、やっぱり特別なんですよ」

大沼の告白は、みなの心の片隅でほこりをかぶっていた感情の扉に、どうやら隙間を開けたようで、それからいつの間にか、それぞれが恵子の話をした。ほとんどのメンバーが、ステージに立つ恵子を見ていて、それぞれが似たような思いを抱いていたことを告白しあったのだった。

そうやって言葉にすると、自ずとあの頃の連帯感というか、結束みたいなものが蘇ってきた。当然のようにそれは、ライブを成功させたいな、という共通の想いに結実したのだった。

そういう夜を経験しておきながら、オレは皆の前に現れた新たな天使に毒牙を延ばしているわけだ。未だ最後の砦に手は付けていないぜ、と言い訳しても、目の前で明日菜ちゃんの若く張り出した乳房を目の当たりにし、手入れの施されていない茂みを称える下腹部を目撃した時点で、もう他のメンバーのことを裏切っている、と言われても仕方がない。

ほんの出来心、イヤ、彼女が話に乗ってきたから、などと、どんな言い訳も歯が立たない。

ああ、オレはこんなに女の子に手を出すのを、躊躇したことがこれまであっただろうか。

いや、逆に考えれば、オレはそれほど規範を遵守し続けた聖人か?

そもそも、裏切ったのはこれが初めてじゃないだろ?と自分に問いかけて、頷かざるを得ない。

誰もが胸に手を当てる以上に、オレには心当たりがありすぎる。国から認められた掟破りでもあるのだし。もしオレと彼女の共通の知人の中で、手を付けるのに打ってつけの人物と言えば、オレしかいないだろ?というのは、なんとなく自信がある。

たとえそうでも、やっぱり彼女に手を付ける理由には乏しすぎる気がするのが不思議だ。

結局のところ、オレは意気地がないだけなのだろう。勇気というものは、年を経るごとに、やはり衰えていくらしい。

 

前へ

次へ