センセイというのは、大沼のことを彼女がそう呼んでいる。少なくともオレたちの周りで大沼のことをセンセイと呼ぶのは彼女ぐらいで、彼女にギターの手ほどきをしたのだから当然なのだろうけれど、オレたちにとってはセンセイというなら藤木の方がしっくり行く呼び名だと思う。何しろ藤木は実際に、高松の大手の楽器店でギターの講師をしている。

「センセイも今年はクラプントンだ、って張り切っていて、たまたま藤木さんもそうなんでしょ?

オレは頷いた。年始に逢った時に、そんな話をしてたのを思い出した。昔の弾きまくりのクラプトンよりは、今の枯れた音を出すクラプトンの方がずっとイイよな、と藤木が言うのに、大沼がしきりに頷いていた。

クラプトンは咀嚼の人だと思うんですよね、と大沼が言い、それを聞いた藤木が、コイツしばらく見ないウチに一端のこと言うようになったよな、とオレに相づちを求めたのをよく覚えている。

ただ、彼女の口からセンセイ、と出て大沼を思いだし、芋蔓式に藤木の顔を思い出して、オレの一度高まりかけた淫靡なざわめきは、すっかり彼方に去ってしまった。

「クリスマスにみんなにストラトプレゼントしてもらったから、やっぱりああいうニュアンスの音を出してみたくなるじゃないですか」

それがクラプトンの枯れたトーンのことなのか、ジェフ・ベックの浮遊感のある音程さえもトーンに変えてしまうような不可思議な音のことを言っているのかはオレには分からなかった。でも、そういった時の彼女の表情こそ、オレがいつも見ていた、彼女の顔だった。

彼女はオレたちとは較べものにならないほど、ギターに対して真摯だ。

何処かで妥協や、ごまかしを潜ませているオレたちの音なんて、簡単に凌駕するほど、彼女は音に対して真剣で、それは音楽を食い扶持にしている藤木でさえ一目置いている。ことギターのことになると、彼女の振る舞いから、言葉、そして態度まで、全部が神々しくさえ感じるほど、まっすぐに立ち向かうのだ。

だからこそ、オレたちにとって彼女は無垢な天使のような存在で、触れ難き何かを持って接するほどの敬虔さを自ずと呼び起こすのだ。

その彼女の、本当に無垢な姿を、オレは淫靡な視線で見つめ、きっとこれからオレの欲望にまみれさせてしまうのだ。それはきっと、背徳以上の裏切りに違いない、とさえ思う。

男の人ってすぐ、女を偶像化して勝手に神格化しちゃうでしょ、アレってバカみたい、と大学生の頃の恵子が言ったことがある。その頃は、そんなことねえよ、と言い返したけれど、今となってはその通りだと思う。きっとそれは、男の側の理想であって、それを何処かで実現させたいという願望なのだろう。

だからきっと、明日菜ちゃんにはオレたちに一番欠けている真摯さ、という部分で、音楽をまっとうしてほしい、という願いを託しているのだと思う。それが何処かノスタルジーにまみれて、肯定してしまうのを、なんとかやり過ごそうとして、自分たちも楽器を持ち、諦めきれない現実を宥め賺すのだ。

その唯一の砦すらも、オレは犯してしまうのか?

戸惑いながら、オレと彼女の距離はなかなか縮まらない。

 

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