三が日を終えた最初の日曜日の大沼の家には、オレたちだけでなく、明日菜ちゃんも年賀に顔を出していた。いつものようにそれが大沼の家を訪れるユニフォームのごとく、制服姿でギターケースを抱えていた。その日はケースからギターを取り出すことはなかったが、ずいぶんと賑やかな時間を過ごした。

大沼は妹と二人で暮らしているのだが、今はそこに、アイツの相棒で一緒に歌を歌っている一号と呼ばれている男とその嫁さんが住んでいた。その嫁さんがお腹が大きいのだが、なんでも家から勘当されて一人勝手が分からずに子供を産むのは心細い、ということで、出産経験者の妹がいる大沼の家に居候していたのだった。

オレはその話を聞いて、初めて妹がバツイチで子供がいることを知ったのだったが、どうも複雑な事情があるらしく、詳しい話を大沼はしたがらなかった。実際に家に行っても、その子供らしき面影は全くなかった。だから、それ以上を聞き出すのはどうしても躊躇があった。

それでも顔を合わせれば普通に笑っている、何処にでもいる兄弟だった。そういう家族の中は、いつも何処か暖かで明るい。松の内の浮ついた雰囲気の中で、そこに人が集まれば自然と会話は弾んでいた。

ひとしきり騒いでお開きになり、電車で来ていた明日菜ちゃんをオレが送ることになった。藤木でも良かったが、日曜日に一人で外出して、女の子の痕跡を残して帰るのは気が引ける、というので、オレが選ばれたのだった。

その帰り道に、卒業ライブの話をしていたんだけれど、いつの間にかアニメのけいおん!の話になり、明日菜ちゃんも卒業旅行には行かないの?と尋ねると、旅行に行くフリをしてその予算をパソコンの作曲ソフトに回す、と彼女は応えた。ただ、旅行に行ったフリはしないといけないから、誰かの所に泊まりに行くつもり、というので、オレは毎年この季節に休みを取って温泉に行く話をして、だったら一緒に行く?と誘ったのだった。どうせだったら、タダで良いよ、と付け加えた。

まったく話の流れに沿っただけで、その本気の度合いは別にして、誰もがそういう話になれば当然のように誘うはずだ。オレも普通に、誘っただけのつもりだった。だから、まさか彼女が誘いに乗ってくるとは思わなかった。

クルマの中での話はそこまでで、その夜の日付が変わる頃、ケータイにメールが届いた。そこには、絵文字も顔文字もないずいぶんと素っ気ない見栄えで、ホントに良いんですか?という殊勝な響きの言葉の後に、本当なら、旅行に連れて行ってください、と書かれてあった。

その時点で、オレはもう慌てていて、浮つきながらも疑心暗鬼の含んだ返信をすると、改めて、温泉に行きたい、と今度は少し、嬉しそうな装飾を添えたメールが返ってきた。それじゃ、詳細が決まったら、また連絡する、と返して、改めてオレはザワザワと昂揚する胸の感触に、落ち着きを無くしたのだった。

オレはその時、改めて彼女の姿形を思い浮かべて、彼女が未だ現役の高校生、という現実を持ち出して、そしてゆっくりと自分の姿形と、前科者で元ソープランドの店長という現実を重ね合わせた。ぎごちないけれど、輪郭は綻びながらも所々で重なり合い、それを見つけてニヤけている自分に気が付いた。

ただ、それが、彼女だからなのか、彼女が若い女の子だからなのか、ただ彼女が女だからなのか、オレ自身まったく分からなかった。当然、恋愛感情というものを持ち出すには、余りにもコトは早急すぎた。その一点で、まさしく不純な動機を呼び起こしそうだったけれど、その向こうが見えないことだけがなぜか安心材料になっていた。

一緒に温泉に行くだけで終わるかもしれないし、という半ば期待を極限までそぎ落としたはかない理由を用意して、オレはいつものように旅の準備にじっくり一週間を費やした。

行ったり来たりを繰り返しながら、結局気が付くと彼女が気に入りそうな音を探して立ち止まる自分がいた。自分で滑稽だと思いながらも、ネットでヒットチャートを検索してみたりなんて、おそらく、こんなに女の子と旅行に行くのに慌てたことはないな、と諦めるのだった。

結果、彼女にクルマで聞きたいCDがあれば持ってきて、とメールして終わった。オレは白旗を揚げて、素直に自分が一番聴きたいCDを何枚かピックアップしたのだった。

彼女と待ち合わせた駐車場で、オレはまずCDを、と切り出したけれど、彼女は、何も持ってこなかった、とさらりと言った。手にしていたのは、小さなトラベルバッグ一つで、ベージュのミニスカートに、グレーのニットを重ねた胸元の大きく空いたボーダーTシャツの上にハーフコートを羽織っている以外、彼女が身につけているものは何もなかった。素足の太股が白くて、やたらと寒そうに見えたのだけど、別に平気です、と朗らかに笑ったのだった。

それでもやっぱり、オレたちの間の話の接点はまずは音楽で、高速に乗って大洲で降りるまで、ギターやバンドの話ばかりだった。クルマには、ちょうどかけっぱなしのジョー・ジャクソンの新譜が流れていて、彼女は、こういうのもイイですね、といって、誰ですか、と訊いた。

彼女は名前を言っても、ジョー・ジャクソンを知らなかった。新譜は、デューク・エリントンのカバーアルバムなのだけど、こんなアレンジのキャラバンは聴いたことがない、とオレが言うと、なんだかすごくエロチックですね、といって、私は先生の家にあったヴェンチャーズのしか知らないですけど、と付け加えた。

エロチックというのは言い得て妙だね、確かに、オレが惹かれたのはそういう部分かもしれない、とボディー・アンド・ソウルという名盤があってね、と熱く語り出すのを、彼女は嬉しそうに聞いていた。語りながら、オレの耳には、彼女の放ったエロティックと言う言葉が、ずっと響いていた。

そして、それは様々な、というより多少淫靡な色を滲ませて、未だに耳に響いていた。

別にオレたちの間にわだかまりがあったわけでもなく、かといって親密なわけでもなかった。いわば音楽のだけの付き合いで、そこに踏みとどまれば、きっと、そのままでずっといられたのだろう。ただ、それは今となってはまさに淡い夢の彼方だ。

今まで幻のような世界だったものが現実になり、当たり前にあると思っていた現実が幻の世界に融けていく。

あっけらかんと一糸纏わぬ姿になって、オレより早く露天風呂に向かった時点で、そういうことが起こって、オレは未だに慌てている。湯煙は淡く立ち上ってまさしく灰色の世界に、何もかも飲み込もうとする勢いだけれど、触れればちゃんと感触を返してくる、これは現実の世界なのだ。

彼女の肉付きのいい体が、何とも言えない曲線を描いてオレの目の前で蠢く。やがて、雪を落とすのにも飽きたのか、端まで行って満足したのか、彼女はこちらを振り向いた。

その時、彼女の豊かに張り出した二つの果実がゆったりと揺れるのが見えた。もう乳房を見て飛び上がるほどはしゃぐような歳でもないけれど、それでも、確実に男にはない造形を保ち、決して代替不可能な柔らかな感触を称えているその部分に、いつまでもオレは恋いこがれる。いつかはそれすらも枯れるのかもしれないけれど、未だにときめくのは、感覚だけは衰えていない証拠のはずだ。

そんな好奇に満ちた目に、遮ることなく全てを晒すことが出来るのは、彼女が未だ若いからなのか、敢えてオレに対して無防備でいられるのか。いずれにせよ、それはまさしく、千載一遇の機会なのだから、素直に喜ぶべきなのだろう。

だけど、そこまで無防備でいられると、オレの方がやはり、戸惑ってしまう。

「ちゃんと湯に浸からないと、風邪引くぞ」

その戸惑いを隠すように、オレの口からはそんな陳腐なセリフしか出てこない。

「熱いから、のぼせちゃうよ」

そう言いながら、彼女はさっきとは反対側の縁に腰掛けた。

「熱いのは、本当に苦手なんだ」

それを見ているオレも、ずいぶんと熱い湯に中てられて、顔を真っ赤にしていたのだった。

 

前へ

次へ