オレと大沼が始めたセッションの中心は、やはり明日菜ちゃんという将来有望な若手女性ギタリストだった。彼女を触媒に、オレたちはかつての音楽仲間に声をかけ、そのほとんどが音楽とは距離を置いていたのを、まんまと巻き込まれるフリ、というもっともらしい理由を与えて、引っ張り込んだのだった。いわば、彼女の存在を言い訳にして、オレたちは好いように音楽をこの手に取り戻したのだった。

ただ、オレたちは未だずっと過去の中にいた。未来を一心に受け止めているのは、結局彼女一人だった。それはオレたちの羨望の的でもあった。誰も、そのことを口にはしなかったが、オレたちの行く先を照らす女神、と誰もが信じて疑わなかった。

それが一つの形になったのが、去年のクリスマスだった。

オレたちは彼女にギターを送った。

クリスマス・プレゼントと、卒業祝いを兼ねて、そのギターを送ったのだ。大沼が買った安物のストラトキャスターに、セッションで繋がった仲間が少しずつパーツを持ち寄って改造を施し、そこそこ見栄えのするギターに仕上がった。

その算段を付けている中で、もう一つの未来が見えてきた。誰からともなく、明日菜ちゃんの卒業ライブを開こうぜ、という話が持ち上がり、冗談交じりに盛り上がっていると、いつしかかつて大学時代にやっていたフュージティブ、という名前のオレたちのバンドの再結成、という話に繋がったのだった。

それは、全くの冗談で終わるはずの話だったのだけれど、それで終わらすには惜しい話だった。その想いだけはかつてのメンバーがそれぞれ持っていた。その想いを確認した時から、オレたちは自分たちにも未来があるような、そんな錯覚に囚われるようになった。

それは未だ曖昧なままではあったが、可能な限り実現に向けて、動きはもう始まっていた。

そのことを、ギターのプレゼントと共に明日菜ちゃんに伝えに大沼の家に行ったのだった。オレに着いてきたのは、ギターの改造を一手に引き受けていた、バンドのリーダーでコンポーザーでギタリストで、ついにはそれを職業にまでしてしまった藤木、という男だった。

藤木は、オレが事件を起こす前も後も、唯一と言っていい友人だった。大学時代から、付かず離れず、しばらくブランクが空いても、再会すればまるで何事もなかったようにまた話が出来る、そういう間柄だった。元々、大学時代のバンドはオレと藤木が出会ったことから始まったものだし、フュージティブ、という名前も、ふたりで考えたのだった。

今の藤木は、東京の芸能事務所に所属してスタジオミュージシャンや、アレンジャーとして活動していた。地元ではギター教室の講師もしていて、今はそちらの方がメインになっているが、それでも時々は、ツアーやレコーディングで長期間、家を留守にすることも多かった。

オレたちがセッションを始めると、藤木はずいぶんと嬉しそうに話に乗ってきたが、ただすぐには参加は出来なかった。

その理由は彼の妻にある。藤木の妻の恵子は、元々、フュージティブのボーカルだった。藤木ともバンドを通じて知り合って、つきあい始めて、そして結婚した。当然、オレもよく知った仲だった。

卒業後、それぞれの進路に馴染むまで、長いブランクが空いたのだけど、それが落ち着いた頃から時々、オレは恵子に誘われてキーボードを弾いていた。彼女は、地元で司会やレポーターのようなことを仕事にしている。だいたいは結婚式やイベントが彼女の仕事場なのだけど、そこで、余興のように、オレがキーボードを弾き、恵子が歌を歌った。

昔のようにオリジナルを額を擦らせるほど角付き合わせて作る、というものではなく、ありきたりの定番曲のカバーを、数曲ピックアップするだけだったけれど、取りあえず、恵子が歌を歌う時は、オレが指名された。

旦那の方が現役だし、ずっとオレより上手いはずだぜ、とオレが言うと、あの人を雇うとこの程度のギャラでは済まないから、と恵子は冗談めかしていった。それを聞いて、オレも悪い気はしなかった。きっと逆の立場でも、オレは恵子を指名するんだろうな、とずっと思っていたからだ。

藤木は当然、そのことを知っていたけれど、時々はアイツがツアーで長い間家を明ける時でも、お構いなく、恵子はオレを指名して、時々は部屋に招かれて夕食をごちそうになる時もあった。そんな時、必ず恵子は、そういう立場の人って、アンタだけだからね、というのだけれど、オレはその真意をちゃんと量ることが出来ないままだった。

そして、オレは事件を起こすのだが、それ以来、恵子は全くオレと顔を合わせるどころか話もしなくなった。藤木がオレと会うことすら許してはおらず、一度は相当ひどい喧嘩をしたらしかった。そのこともあって、藤木と恵子の間ではオレのことは今でもタブーになってしまっている。

藤木はそれでも、オレとは変わらず時々逢っているのだけれど、オレにはどこか遠慮があった。それが、アイツのセッションの参加を遅らせた理由だった。何とか参加したいという藤木のために、その時だけはオレが外れて、大沼がベースを弾いて、藤木と明日菜ちゃんがギター、というラインナップで参加した。当然、恵子も見に来ることを予想したのだけど、結局姿を現さなかったらしい。

結局、バンドの再結成の足を引っ張っているのは、オレと恵子の関係であり、つまりオレのせいなのだ。恵子がオレを嫌うのは、仕方がないと思うし、それでとやかく言う資格はオレには全くない。だから、申し訳ない、とただひたすらそう思う。「それでもオレは、お前ともう一度、ちゃんと音楽をやりたいんだよ」

藤木はオレにそう言うし、オレも思いは同じだった。だけれども、それこそが、最も遠い未来の話に思えてならなかった。

それを明日菜ちゃんの卒業ライブ、という隠れ蓑で曖昧にして、なんとなくうやむやなまま、ステージに立ってしまおう、という魂胆を胸の裡に秘めて、オレたちは明日菜ちゃんに話をしたのだった。

彼女は身を乗り出して、絶対やりたいです、と目を輝かせた。当然、オレたちもその応えを十分に予想していたのだけれど。

隣にいた大沼は、オレの事件のことはその時はまだ知らなかった。だから恵子との間がこじれていることも、頭にはなかった。でもヤツにはそれ以外に懸念があった。

「再結成って言っても、ベースはどうするんですか?

忘れていたわけではなく、それは物理的に無理な話だったのでオレたちは問題にしてなかっただけだ。本来再結成というと、当時のメンバー全員で参加するのが基本だろう。

でも、それはどうしたって叶わない理由があった。

オレたちのバンドの解散までずっとベースを弾き続けていた男は、今はもうこの世にいない。

その男は卒業して、実家の漁師を継いで観音寺の沖でシラス漁をやっていた。ある日漁船で沖に出て網をかけている時、突然倒れて、そのまま意識が戻らなかった。脳溢血、と運び込まれた病院で診断され、そのままICUから出ることなく、この世を去った。

大沼はその男のことを言っていたのだった。確かに、オリジナルメンバーの再結成は、完全な形では実現できない。オレたちはそのこともちゃんと分かった上で、解決策も用意していた。

「お前やれよ」

事も無げに、藤木がそう告げた。

「明日菜ちゃんがお前の代わりにギターで入って、お前がベースを弾けば、好いだろ?それが卒業ライブのメインのメンバーだよ」

半ば予想していたのか、ある程度の無理を強いるクセがあるのがオレたちだということを、経験から知っていたのか、大沼はやれやれと言いたげな表情で肩をすくめた。確かにベースは持ってますけど、と付け加えるように言ったのは、自分を納得させるためだったかもしれない。

言い放った藤木も、当然だろ、という表情で、更に細かいライブの構想を語って聞かせた。「最初と最後をフュージティブが担当して、その間は、ゲストのバンドとか、お前が道端でやっている弾き語りとか、あと文化祭の時の高校生のバンドも呼んで、とにかくお祭りみたいな感じで昼ぐらいから夜中までやるんだよ。ただし、メインはあくまでも明日菜ちゃんだから、フュージティブ以外でも出ずっぱり、ということでどうだよ?

少なくとも、大沼はオレと藤木を前にして、反論できないのはよく知っていて、それに覆い被さるように明日菜ちゃんが興奮したトーンの声で賛意を示したものだから、もう卒業ライブを開くのになんの障害もなさそうに見えた。

結局、そのパワーバランスを利用して、後日改めてオレたちは大沼個人を呼びつけた。そして、オレは自分の事件と、恵子のことを話した。そして、ヤツに仲を取り持つように依頼したのだった。依頼といえば聞こえは好いが、実際は押しつけたのだった。お前だって、恵子をボーカルに据えてステージに出たいだろ?と強弁して、おそらく卒業ライブの一番の大仕事を、大沼の両肩に背負わせたのだった。

とにもかくにも、卒業ライブは前に向かって走りだした。今頃、大沼は、頭を悩まし、負担に感じ、辟易しているのかもしれない。少なくとも、恵子に会えば遅かれ早かれ、一度はそうなるはずなのだ。

そんな中で、オレは今、明日菜ちゃんと温泉に浸かっている。

 

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