オレは、今年に入って、松の内が終わる頃に、それまで勤めていた仕事場から離れた。平たく言えば、無職になったのだ。その区切り、とまでは考えていないけれど、取りあえず何物かから解放された、つかの間の安息の時間を、この湯治の旅に宛てたつもりだったのだけれど、彼女の参加でそれも、すっかり計画が別の色に染まってしまったのだった。

オレはこの正月までの三年間、城東町にあるソープランドの雇われ店長をしていた。そこが不況についに耐えきれなくなって、身売りすることになった。広島を中心にしたチェーンを持つ新しいオーナーは、女の子も含めてスタッフもそのまま存続を打診してきたけれど、オレだけが辞退した。

ソープランドの前の職は、大阪に本社のある工作機械の営業で、大学を出て二十年近くそこに勤めていた。あまりに違う職種に、何とか慣れようと努力したし、また恰好だけは何とかやってこられたんだけれど、身売りの話が来た時に、なんとなく潮時かな、という気がしたのだった。

オレはそのことを、まさに店長として雇ってくれていた前のオーナーに正直に話した。そのオーナーとは、オレは松山の刑務所の中で知り合った。オレが一年、塀の中の世間と隔絶された世界は、自由になってもずっと尾を引き続けていたのだ。

今になって、その頃のことを考えると、何を考えていたのか全く理解できないし、なぜそんなことをしたのかすらも、とても曖昧なまま自分でも納得しきれずにいる。馬鹿なことをしたな、という自分への後悔だけが、今もずっと胸の内を焦がし続けていて、いつか焼け落ちて尽きる時が来るような、そんな朧気な予感がずっとある。

簡単に言いきれることではないけれど、平たく言えば、失恋の腹いせに当時別れ話を切り出してきた女の子を深く傷つけた、ということになる。やってしまったことを、後になってとやかく言っても始まらないのだけど、どちらかというと反省よりは後悔の方が大きかった。それは、いわゆる被害者、という者に対する謝罪などよりはずっと、罪を犯したことの方が自分にとっては、意味が重かったのだ。それまでずっと罪を犯さない、という最低限のルールを守ることによって、自分が保たれていたその足下を、オレは自分ですくい上げ、ぶちこわし、そして汚したのだった。

つまり、自分の中にどうしたって拭えない、冒涜の意識を抱え込むことになったのだった。

そういうところは、やはり見る人が見れば解るようで、結局反省を見せない限り、いくら罪の意識にまみれていても仕方がないらしい。オレは当然のような顔をした裁判官に、矯正の場へと送られた。そこでそのオーナーと知り合うのだけれど、きっかけはなんだったかよく覚えていない。ああいうところは、確かに毎日がサヴァイバルなんだけれど、どことなく仲間意識というものが根底にあった。よほど飛び出さない限り、その意識は共有され、不思議な絆のようなもので結ばれるのだった。

最初の頃、まだ中の生活になれないオレに、オーナーが最初に声をかけてくれたのは、同室でちょうどオレの前に入ったのがオーナーだったからだ。一通りの中のルールを飲み込んだ頃には、わりと気軽に会話できるようになって、そんな時、ふとオーナーはオレにこういった。

「ここは自由がないっていうより、制限されているだけで、まぁ、外の世界よりはいくらか狭苦しい、っていうぐらいのものなんだぜ。だって考えてみろよ、オレたちは外の世界で、そんなに自由を謳歌していたか?

詐欺師に鼻を摘まれるような物言いだったけれど、オレは妙に納得した。自由の度合いは違うけれど、理不尽なルールに縛られているという意味でいえば、塀の中も外も同じような気がした。逆に、外の世界に鬱積した諸々のことを忘れ去られるだけ、気が楽なような気もした。外の世界では、自由と引き替えに責任も負わされるが、中は最低限のルールを守っていれば、自由の代わりに責任からも逃れられる。そちらの方にずっとシンパシーを感じる人も、けっこういるかもしれないとオレは思うのだ。

それがきっかけなのか、オレとそのオーナーは変に気が合った。年齢はオーナーの方がずいぶん上だけど、話が噛み合うというか、どことなくあうんの呼吸で済ませられるような不思議な感覚をお互いに感じていたのだった。

オーナーは、いわゆるG周辺と呼ばれる、やくざの企業舎弟、といった立場で、風俗店を何軒か持っていた。中にいる頃から、出所したら雇ってやるよ、と云っていて、こっそりと連絡先を交換し合っていた。

出所はオレの方が先で、オーナーはその一年後に出てきた。はっきりと未来を描いていたわけではなかったけれど、別に待っていたわけでもなかった。それでもオレはなんとなく一年間ブラブラとしていた。そこそこあった貯金を食いつぶしながら、毎日旧本を読んで過ごした。そして、オーナーが出所した頃に事務所に顔を出して、約束通り雇ってもらった、というわけだった。

それから三年間、女の子の裸に食べさせてもらっていた。気が付いたら三年経っていた、という方が正直な気持ちだった。オレはその三年間、何をしたんだろうか、という気がする。仕事以外では、変化、というよりは元に戻るような、これまでのオレが歩んできた過去を総決算するような出来事が続いた。

それは結局、オレには音楽しかなかった、という単純な結論を導き出した。

そして最後の一年、再確認は怒濤のように現れ、その結果おぼろげな未来が見えた気がした。それが、今目の前で裸で雪と戯れている湯煙の少女だった。

 

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