ちょうど、オレが大学時代に組んでいたバンドに、一人の男が加入して来た。

大沼です、と自己紹介したそいつは当時高校二年になったばかりで、下手くそなギターを弾いていた。YAMAHAの明るい青のストラトを持っていて、たまたまフェリー通りの端にある楽器屋にメンバー募集の張り紙を出そうとしていたところを、運良くオレが顔を出して、なんとなく話しかけてそのまま、入ることになったのだった。

大沼は、学校のバンドに満足できず、本人曰く、武者修行に外の世界でギターを試してみたくなった、らしい。年上、といってもそう幾つも変わらないのだけれど、でも、大沼にとっては渡りに舟、望んでいた場所に収まることが出来たわけだ。

そのバンドも、オレたちが卒業すると同時に解散した。それから十数年経って、お互いもう音楽に夢も希望を持ち得なくなってるにもかかわらず、相変わらず楽器を手にしていて、再会もやはり楽器が導いたような気がした。

その十数年の間をお互い全く知らないまま、路上で唄っている大沼を見かけた瞬間、そのブランクがブランクとしてそのまますっぽりデリートされたかのように、昨日の今日顔を合わした感じでオレたちはまた何かやろうぜ、と当然のような顔をして話した。

その一つの帰着点が、彼女だった。顔のほんの僅かな片隅に重ねた年齢の痕を滲ませるようになっていた大沼は、今は自宅でギターを教えている高校生がいる、という話をして、軽い調子でセッションでもしませんか、と誘ってきた。それなら、とちょうど飲み仲間に、ドラムとベースをやっているリズム兄弟がいて、そいつらとも今度やるぞ、と話したままおざなりになっていたので、これ幸いとばかりに招集をかけたのだった。

スタジオで音を出すのは、集まったメンバー誰しもが久しぶりで、また他人と合わせるのもブランクがあった。それでも、リズム兄弟が肩慣らしに走り出したグルーブが、オレたちをたちまち覚醒させた。ふたり揃ってレッチリに心酔している兄弟たちは、本家よりはずっと重いノリだったけれど、打ち鳴らす、といって良いグルーブはオレたちの腰をブン回しにかかった。

それからの二時間は、なんだか久しぶりに「幸福」というようなものの片鱗に触れたような、夢のような時間だった。音と戯れる感覚を取り戻すまでには届かなかったけれど、音が充満する密室に紛れ込むいかがわしさのようなものを、オレは思いだしただけで顔がほころんだ。

まだ高校生の彼女は、同じようにその「場」に圧倒されていたけれど、何とか食いつこうとして、前のめりになっていた。オレは最後の方になってその姿を初めてちゃんと見たのだけど、それは今でも目に焼き付いている。きっと負けず嫌いなんだろうな、という印象は、彼女の浮かべた眉間の皺が如実に現していた。必死の形相を、オレはなぜかひどく愛おしく思ったのだった。

それから、夏休みが終わるまで、暇を見つけては、セッションを続けた。取りあえず声をかけて、身体の空いているものを片っ端から引っ張り込んで、メンバーは大沼と彼女以外はめまぐるしく入れ替わったけれど、気が付いたら、オレが今まで生きてきて、一度は一緒に音を出した連中のほとんどがそのセッションに参加を果たした。オレ自身は、時々理由があって抜けることがあったけれど、一通り、旧友と再会を果たした恰好になったのだった。

その間に、彼女はずいぶんと上達した。きっと、元々才能はあったのだろうし、努力を実力に換える資質を持っていたのだろう。後は経験と慣れ、なのだが、それをセッションという緊張した空間が開花させたはずだ。オレはそんな感じで、伸び盛りの高校生を、かつて大沼を見ていたように、微笑ましく見ていたのだけど、本当に見ていただけだった。そのつもりだった。去年、何度も何度も顔を合わせたけれども、ずっと見ていている以上に至らなかったし、望んでもいなかった。

だからオレは今ここでも彼女を見ているのだけど、ただ、オレは今朝初めて彼女の普段着を見たし、今は彼女の豊かな乳房を見ている、魅取れている。それはどんな女の子の乳房にだって魅取れるのだけれど、なぜ、その対象が彼女なんだろうか?

もちろん、いきさつはある。

それを逐一自分で把握しているし、そもそも誘ったのはオレの方だ。制服姿でギターを弾いていた彼女を、オレが誘ったのだ。

にもかかわらず、オレは奇妙な感覚に囚われていた。なぜ今オレは、ココにいるのだ?なぜ今オレは、彼女の乳房に魅取れているのだ?

「ねぇ、そんなに見つめられると恥ずかしい」

彼女は、そういいながらも、タオルで前を隠すとか、後ろを向くとかはしないで、オレの方を見て半分笑いながら見返してくるのだ。それは本当に、自然で無理が無く、オレはこういうことが初めてではないんだろうな、と勝手に邪推する。

彼女に高校生の彼氏がいることは、本人の口から訊いたことがあるし、秋に文化祭のステージを見に行った時に、あの子がそうだよ、と大沼から教えてもらった。細身で背の高い、目立たないタイプだけれど、モテなくはないだろうな、と勝手に思った。

その彼と、というだけではない大胆さだろうな、と思う。すると相手は大沼あたり?というのも、なんだか腑に落ちない部分がわき起こる。アイツにそんな度胸があるだろうか?

そのどれもが何も根拠のない、当てずっぽうの曖昧な感覚だけれども、なんとなく、そうでも思わなければ、オレは自分に言い訳が立たない気がしていた。

そのうち彼女は、ザブン、と音を立てて湯の中に滑り落ちると、一度肩まで浸かって反動で立ち上がった。そしてザブザブと盛大に飛沫あげながら、向こうの生け垣の方へ歩いていく。辿り着くと、青々とした広葉樹の葉に積もった雪を一つ一つ指で弾きながら落としていった。そういう他愛もないことをして、勝手に一人ではしゃいでいたのだった。

オレはやっぱりその行動の一部始終をずっと漏らさず見ていて、その監視の中心を、ハートを逆さまにしたようなたっぷりとした尻に求めた。湯を蹴って、歩くたびに筋肉を弛緩させる様が、そこにはくっきりと浮かんでいた。柔らかく肉が張り出しているのに、それは揺れない。形を保ったまま筋肉だけが蠢動する。それはきっと、彼女の若さ故、なのだろう。

ただ、オレはその後ろ姿を追っていても、いっこうに欲情しなかった。正確には、欲情に至るスイッチを入れ忘れているような感覚だ。頭の中でそれは劣情に火を点けるに充分な、美しさと卑猥さを充分に持った豊かな尻をしているのに、まだそこに至らず、というブレーキのような邪魔者がどこかにあって、それを言い訳にしている。

どうせ、オレは早晩、彼女を抱くことになるのだろうけれど、なぜかそれが、遠い未来の夢のように感じる。ココまで来て、彼女の裸体を見ていても、全く現実味がないのだ。

オレはもしかすると、夢オチ、を望んでいるのかもしれない。

と、嘘みたいなことを考えていた。

彼女が指先で葉を弾く度に、湿った雪は音もなく足下の湯船に落ちてあっという間に湯気に変わった。まるで子供みたいに一心不乱に雪落としに夢中になっているおかげで、彼女の周りにはもうもうと霧のベールのような湯煙が立ち上っていた。彼女の白くすべやかな肌の輪郭がずいぶんと曖昧に映る。それほど明確には見えなかったけれど、背中を縦長の楕円形に色を落とした水着の跡が浮かんでいて、それももう煙の向こうだ。

ねぇねぇ、とはしゃいだままの声音で、彼女は声をかけてきた。相変わらず視線は生け垣に向いたまま、背中越しに声だけが届く。

「こんな雪で、明日帰れるの?

クルマ、大丈夫?と続けるのに、オレは曖昧にああ、とだけ応えた。その覚束ない響きにようやく彼女はオレの方を向いた。笑顔が閃いているままで、湯煙の向こうに、紅い厚ぼったい唇だけがくっきりと浮かんでいた。その紅さは、リップでも引いているのだろうか?

 

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