骨付き鶏の店の隣にあるスーパー銭湯で、今晩のアトラクションは終わりだ。後は寝るだけ、明日の朝には、解決してくれることを望んでいるけれど、一方でなんとなく惜しい気もする。賑やかな時間はあまり得意ではないけれど、美麗達といっしょなら別だ。
自分にも子供がいたら、こんな風なんだろうか、と思う。でも、その想像は余り上手く像を結ばない。自らの血を分けた者と、他人との違いは、歳を追うごとに際立ってボクに迫ってくる。やはり子供を作るのは、早い内の方がよいのだと思う。
脱衣所で服を脱ぎ、風呂場に向かうと、雅人はがっしりとした体つきとは裏腹に、どこかおどおどしながらボクの後を着いてきた。他人に裸を晒すことに慣れていないのか、単純にこういう場所が苦手なのか。ボクがやったことをチラチラ見ながら、同じように繰り返す。
そういえば、家族で旅行に行ったという話を聞かないな、とボクは気がついた。彼等が小さい頃は、千晴がクルマであちこち連れ歩いていたけれど、父親を交えた思い出を、ボクは知らない。ボクが聞いていないだけなのか、実際にそういう出来事がないのか。
ただ、自分を省みても、父親と、例えばこういう場所に来ても、気まずくなるだけだな、と思う。父親と二人きりで、何を話せばいいというのか。手を引かれなければ歩けないような年の頃ならまだ、無邪気に後を着いていくことも出来るだろう。でも、雅人のような思春期に、慣れない場所で更に緊張を強いられるのは苦手だな、と思う。
それでも、ボクは別に父親に反抗していたわけではなかった。それなりに付き合っていたはずだけど、余り良く覚えていない。そして、ボクにも家族で旅行した思い出は、数えるほどしかない。父は展覧会や創作のために世界中を旅していたけれど、家族同伴は一度としてなかった。
ただ、ボクはそのことに、寂しさは感じなかった。そういうものだと思っていた。
そう考えると、ボクと父の距離は果たして近かったのか、遠かったのか。
フッとボクの口を、苦笑が突いて出る。
結局、どんな家族でも、同じ様なものかも知れない。雅人と父親、ボクと父、何れもそう大差ないのだろうか。
だったら、常識的な家族というスケールは、一体どこに存在しているのだろうか?
ボクと雅人は肩を並べて、少し熱めの湯船に浸かっていた。さすがに肌と肌を触れ合わせるほどではなく、適当な距離を保っている。別に無意識の結果だ。
湯船の中の雅人はボクにこんな事を訊いた。
「ねぇ、なんで長澤くんは、お母さんと結婚しなかったの?」
バカ言うなよ、とボクは即答する。
それは、ボクの本心だ。千晴は、ボクの中で異性というよりは相棒に近い。
振り返ってみれば、千晴と出会った頃、ボクには恋人がいて、その付き合いは卒業まで続いた。千晴がどうだったか、ボクはハッキリとは知らない。でも、その頃から、千晴を恋愛対象としてハッキリと自覚したことはなかった。
社会人になった頃にはもう、ボクらは今の距離感をほぼ確立していた。ボクが地元に帰ってきた途端に千晴は結婚し、ボクは友人という立場を踏み越えることはなかった。
雅人が産まれて少しして、千晴の家庭がある種の緊張感を抱いていることは、ボクも感じるようになった。子供を育てるというのは、そういうことなのだと、ボクは漠然と考えていた。家族というのはそうやって、成長していくのだろうという風に。
それに息苦しさを感じるのは、やはり子供達の方が顕著で、一度美麗にこんな事を云われた。
「長澤くんがお父さんだったらよかったのに」
それを聞いたボクも千晴も、やはり今と同じように、バカ言うなよ、という反応を返したのだが、それに対して、美麗も雅人も同じように、寂しそうな顔をした。
でも、その理由を彼等に丁寧に説明することはなかった。上手く言葉にはならなかったし、平たく言ってしまえば、それは美麗達が他人だからだよ、ということになってしまうからだ。他人だから責任を放り投げることが出来る。肝心なことは千晴に押しつけてしまえるのだ。
おそらく、自分の子供だったら、今の美麗達のようには付き合えなかっただろう。かえって、同じ様な家庭を築いてしまうんじゃないか、とさえ思えた。
そしてそのギャップは、子供にはストレスになるだろうというのだけは、確信できた。それは、まさしくボクの実体験だった。
時々見る画商や、よくわからない素性の大人達に見せる父の笑顔と、家庭での表情。彼の友人家族と同席した時の、取り繕ったような余所余所しさ。そういう経験が、ボクには積み重なっていた。終始表裏の無い人間なんていないだろうけれど、まだ幼いボクには上手く飲み込めなかったのだ。
嚥下できない蟠りは、そのまま棘のように刺さったまま、未だに融けきることがない。父親の姿を、大人の所業と分別できるような歳になっても、棘は癒えることなく小さな疼きを打ち続けているのだ。
それは自然と、ボクは家庭人にはなれない、という諦念に繋がった。
もちろん、そういうボクを雅人は知らないだろう。けれど、いまだに雅人がそんな事を考えていることに驚いた。もう数年すれば、家庭を脱出できる年齢になってきているのだ。いまさら、という気がしてしまう。
そうは言っても、雅人はボクの前ではやはり、あのアトリエではしゃいでいた頃と変わらないのか。
「あのね、昔、長澤くんがさ、彼女連れてきたことがあったでしょ?」
ああ、とボクは返事をする。雅人が産まれて以降、ボクは二人の女性と付き合った。そのうち一人は少し長く付き合い、千晴にも雅人達にも紹介した。
「あの時ね、ああ長澤くんはこの人と結婚して、子供が産まれるんだ、って思ったらね、オレ、なんでか知らないけど凄く悲しくなっちゃったんだ」
夜、布団に潜り込んで泣いたんだそうだ。
「なんだかね、長澤くんがその彼女というか、オレとは違う子供に盗られちゃう、って思ったんだよね。今考えると、おかしな話なんだけど」
雅人はそう言うと、照れたように笑いながら、すっかりゴツゴツとした男の表情を浮かべる手の平で、乱暴に顔を拭った。
ボクはどう反応して好いかわからなかった。それほど慕ってくれるのは嬉しいけれど、それに見合う自分であるのだろうか?
その問いはそのまま、家族のそれぞれにのしかかってくる。千晴が母として、その責任に耐えるだけの人間であり得るのか?彼の父親はその役割を十全に果たしているのか。
自覚とは別に、それはおのおのの胸に突きつけられ、そしておのおのが答えを探し続けなくてはいけない。
少なくとも、他人のボクから見て、千晴は立派に母親をやり遂げていると思う。母親として、美麗や雅人を慈しみ、育て、そして鍛えている。おそらくそのあらゆるプランの中に、ボクの存在も利用されている。例えば、今のような事態の時に。
それがボクの役割ならば、少しは協力しようと思う。
しかし、ボクはそれに見合う人間になり得ているのか?
ボクは今、それに否定的な答えしか見いだせないような気がした。いくら精一杯でも、おそらく最後のゴールの手前で、ボクは責任から逃れることが出来てしまう。そのせいでボクは、やはり他人であり続けるのだ。
「オレからしてみれば、そのうち、美麗も雅人も結婚して、オレなんかと遊んでくれなくなるんじゃないか。お互い様だよ」
冗談に紛らわせて、ボクは自分そのものを覆い隠す。そこら辺が、責任から遠ざかろうとする、ボクが自責の念に駆られる根っ子の部分だ。
だったら、と雅人の顔がにゅうと近づいてくる。
「長澤くん、お姉と結婚したら?」
バカ言うなよ、と再び口にして、その雅人の額を指で押し返した。
「おまえ、それはつまり、千晴をお母さんって呼ぶ事になるんだぜ」
それこそあり得ない、とボクが口をとがらすと、雅人は笑いながら、じゃあオレはなんで呼ばれるんだっけ?と云った。
いずれにしても、それは本当にあり得ない話だ。美麗も雅人も、何時までもやはり、千晴の子供であり続けるのをボクは望んでいる。結局、そうであって欲しい、とボクはそう願っているのだろう。その心持ちは、案外幼い雅人が、ボクの彼女を見て泣いたのと共通しているのかも知れない。
考えてみれば、誰でも同じ様なものなのかも知れない。今心地よい関係が築かれているならば、それ以上を望まないのが幸福なのだ。或いは、それがずっと続くことを願うことが、ある意味明るい未来を望むことじゃないだろうか。
例えばそれを、希望と呼んでみたりする。
裏返せば、人は日々小さく成長し、少しずつ階段を上っていく。その先が、誰もが同じはずはなく、また案外離れていくものなのだ。
だからこそ、今を強く抱きしめる。そうであって欲しい、と願うのだ。
「ね、お姉と結婚しないの?」
「しないよ、絶対に」
雅人はフーンと言って、なんだか無表情で湯けむりの向こうに表情を隠した。その辺、千晴の血を受け継いでいるようだ。やはり子供は、母の姿を見て育つのだな、と思う。
「おまえ、千晴にも美麗にもそんな事言うなよ」
言わないよ、と軽く返事すると、もう出ようよ、と雅人は言った。顔を見ると、真っ赤に逆上せている。
自分一人で勝手に出ればいいのに、と思うけれど、ボクは素直に湯船を出た。
雅人はその後を、派手に湯飛沫を立てながら、やはり着いてきた。
前へ | 次へ |