美麗が触っていたパソコンの画面には、この間のライブの画像がそのまま表示されていた。美麗にはちゃんとコピーして渡していたはずだが、うちの部屋に来るなり、見せて、とボクに強請ったのだ。

画像を小さく折りたたむと、デスクトップの壁紙が表示される。

「あれ、コレ長澤くんの趣味?

雅人は覗き込みながらそう言った。壁紙は、美麗と同い年のグラビアアイドルの水着姿だった。ボクの専門学校時代の先輩が撮ったもので、時々アウトカットを送ってくれるのだ。そのうちの一枚でキレイなものを、壁紙にするようにしていた。

「趣味悪いね」

そう言って雅人は、持ってきたスポーツバッグを床に置いた。

「おまえ、美麗と同じ事言うんだな」

「お姉もそう言ってたの?

ボクが頷くと、雅人は嬉しそうに笑った。

雅人は昔からお姉ちゃん子だ。ウチのアトリエで絵の具まみれになっていた頃は、いつも美麗の後をついて回っていた。

一方の美麗は、それが鬱陶しいらしく、ことある毎に邪険に扱っていた。それでも、雅人は美麗にちょっかいを出し、酷い時に頭を叩かれてべそをかいたりした。それでも、雅人は美麗にベッタリだった。

さすがに今は纏わり付くようなことはないのだろうけれど、お姉さん好きは変わらないらしい。

何か飲むか、と訊くと、雅人は遠慮もなく、スポーツ飲料の銘柄を上げて、ないの?と応えた。

昔は雅人達が来るコトが決まると、スナック菓子やジュースの類いを用意していたものだ。遊んで帰った後、ボクはそれを片付けながら、普段滅多に口にしない残り物のジャンクフードを味わう。二人が顔を見せなくなって、ウチの台所にはコーヒーメーカーか、緑茶のパックしか見なくなった。

そのことに気づいて、コーヒーでいいだろ?というと、雅人は仕方なさそうに頷いた。

「コーヒーは身体によくないんだよ。俺、コレでも一応サッカー部のレギュラー狙ってんだから」

ボクの家族、友人の中に、スポーツが得意なヤツはいなかった。せいぜい会社勤めの延長でゴルフを始めたヤツがいるぐらいだ。大学の頃少しテニスが流行ったけど、ボクは手を出さなかった。だから、身体を使うことも、健康に気を使うこともそれほど熱心ではなかった。

それとは全く違う価値観を、雅人が持っていることにボクは少し戸惑う。

「何か欲しいものがあるなら、姉ちゃんにメールして買ってきてもらえよ」

そうだね、と雅人がケータイを取り出すのを見ながら、ボクは一応コーヒーを淹れに部屋を出た。

階段を上って部屋に戻ると、雅人はパソコンの前に座って、美麗が見ていた画像の続きを見ていた。

ボクはキーボードの横に置いたままの美麗の飲みかけのコーヒーカップに並べて、淹れたばかりの雅人のカップを置いた。すぐには手を付けず、雅人は美麗がマイクを握っている姿をじっと見続けていた。

パソコンデスクの横には、小さなカウンターテーブルがあり、そこに二脚のスタンドチェアがある。そのひとつを引いて、雅人の斜め後ろに腰掛ける。ボクも一緒になって、雅人がめくる画像を目で追っていた。

ボク自身、その画像を見るのは春のライブ以来だ。

視線を画面から逸らさず、雅人はボクに尋ねた。

「お姉って、実際、歌がうまいの?

ボクはボクのカップに口を付け、少し考えた。

「どうだろう。俺はよくわからないけどな、その辺は。でも、結構みんな、ノッてたよ」

ふーん、と気のない返事を雅人は帰した。納得したのか、どうなのか、そもそも余り興味はなかったのか。

「おまえは、姉ちゃんの喧嘩の原因、知っているのか」

あんまり、といって雅人は首を振る。

「大学行きたくないって、なんでだろ?

「あ、母さんそんな風に言ってた?

「俺はそう聞いたぞ」

雅人はようやく画像から目を離し、ボクの方を向いた。その精悍な顔を見て、本当に逞しくなったな、とボクは改めて思う。

「あれだよ、反抗期。俺も途中からしか、詳しくは知らないけど、お姉も言ってること支離滅裂で、何したいんだか自分でも分かってないんだよ」

雅人はやっとカップに手を付ける。手を付けて初めて気がついたように、アイスじゃないの?と顔をしかめた。

「とにかく、お姉の中で何かが弾けたっていうか、よくわかんないけど、何かに気がついたか見つけたかしたんだけど、それがなんなのかわかってないんじゃないの?

そう言ってすぐに、ショードーテキ、と棒読みした。

「衝動的?

「そう、あのね、目の前に急に絶好のパスボールが来て、それに自然と身体が反応して、ヘッディングしちゃった、って感じだね。タイミングがさ、ちょうど父さんの前で出ちゃった感じ」

「余計わかんなくなっちゃったよ」

ボクがそう言うと、雅人も自覚したのか照れたように目を伏せた。

「美麗はもっと、冷静かと思ってたら、そうでもないのか」

「じゃないと、家出なんかしないよ」

さっきの自分の言葉とは裏腹に、自分は美麗のことはなんでも判っている、とでも言いたげな調子で雅人は誇らしげに鼻を鳴らした。

「衝動的、ねぇ」

意外なことに、美麗とその言葉はボクの中でちゃんと結びつかなかった。確かに、それは今という現実を照らせば的確な言葉なのだけど、それに戸惑っている。

美麗は千晴が早い内から色んな本を読ませるようにしたせいか、字を覚えるのが早く、おかげで同い年の子供よりははるかに早く、結構な理屈を並べる子供だった。父親に躾けられたおかげなのか、ハキハキとイエス、ノーをハッキリ言う子供で、だからどこか大人げなく、子供特有の媚びもあまりなかった。

一方の雅人は典型的な子供然としていて、その分、人懐っこく大人の目は好く惹いた。幼い頃から人形みたいな整った顔をしていたのも相まって、注目は自然と彼に集まった。

それが気に入らなかったのか、ボクと千晴が二人で雅人の相手をしていると、すぐに怒りだした。それもちゃんと言葉にして、ボクらに抗議するのだ。それはみんなに、頭の良いお子さんね、という褒め言葉を受けることにはなったけれど、美麗自身は果たして、そのことを喜んでいたのか。

いや、実際、美麗は真面目で、そうやってステップアップしていくことに満足していたはずだ。中学に入ってからは、塾にも通い、トップではないけれど、優秀な成績を取ったことをボクなんかに披露していた。今の高校に入学したことも、結構な成績を必要とするはずだが、難無くやってのけたのだ。

ただ、その期待を美麗に示したのは、いつも父親だった。彼女の父親は、躾には厳しかったけれど、同時に美麗がテストでいい点を取ったり、学年で一桁代の成績を収めたりすると、ちゃんと褒めていた。早くに字を覚えて聡明の片鱗を見せることを、何より誇らしく思っていたのは父親だったのだ。

だから、今一番戸惑っているのは、父親の方だろう。

彼にとって大学に行くというのは、ごく当たり前の次の目標で、それを強いているわけでもあるまい。でも、それ以外の将来も考えてはいないだろう。

そう考えて、なんとなく、お互いに身の置き場をなくしている二人の姿を想像してみる。

なんとなく、父親の方に、ボクは同情してしまう。

きっと、ボクの父と同じタイプなのだろう。或いは、父親という存在が、多少の差異があってもそういうものなのか。父親になったことのないボクにはわからないけれど、しかし、ボクは少なくとも美麗よりは、父親の方にシンパシーを感じてしまう。

もちろんそれが正解かどうかはわからない。ただ、ボクの想像がその通りだとしたら、きっと二人は平行線のままだ。

まるでボクとボクの父親のように。

 

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