無意識にその言葉に反応して、僕は振り返った。その行動に移って僕は後悔した。逆に、一号が何事もなくよく見られるな、と思った。

しかし、見てしまったモノは仕方がない。

視線の先で、彼女の連れの男性が会計をしている最中だった。僕らの視線に気がついたのか、一度だけちらりとこちらを見た。どこといって特徴のない、中肉中背、過不足のない顔立ちの普通の男だった。横に連れ添って恥ずかしくない程度の、ありふれた様相の男だった。

その後ろを、さっきの彼女が足早に通り過ぎようとしていた。ガラスのドアを開けて出ていこうとしている。その瞬間、彼女も一度だけこちらを見た。

何とも言えない不愉快な顔をしていた。怒っている、というよりもメーターは振り切れている感じだった。でも、この場は何とか納めて、早く消え去りたい、記憶も同時に消してしまいたい、という理性と感情がせめぎ合っているようで、それはトータルすると、僕らをひどく蔑んだ視線で射返していた。

そこまで嫌われると、逆に気持ちがいい、とまでは思わなかったけれど、今はどうでも良かった。彼女に振られることと、ユキちゃんとの夢が断たれることと、今はどっちが哀しいんだろうか?そんなことを思いながら、でもどっちも一号が潰したんだよな、と考えるとまた少し、腹立たしく思えてきた。

「なるほどね」

一号の声で、僕は視線を元に戻した。背後で、ありがとうございました、またどうぞ、という女性店員の爽やかな声がした。

見えなくなるまで彼女と連れの男の背中を見送っていた一号は、腕時計を見やった。

「そろそろ泊まりの時間だ」

どういうこと?僕は訊ねる。

「ラブホの泊まりの時間、このあたりのラブホは12時からは泊まり料金になるんだよ」

このファミレスの裏には結婚式場を兼ねた大きなホテルがあって、妹が最初の結婚式をここで挙げたんだけど、その通りをもう少し海の方へ向かっていくと、何件かのラブホテルが並んでいる。このまま番の州を抜けたあたり、更に向こうの宇多津の埋め立て地のはずれにもホテルがある。密集というわけではないけれど、香川の中では比較的カップルで泊まったり休憩したりするための場所が点在している場所でもある。

そういえば、初めてユキちゃんを一号に紹介されたときにも、一号はまだ僕の家に同居していて、だからこのファミレスで別れて二人の時間を過ごしたんだった。

それを思い出すと、ほんのわずか心が痛んだ。痛むと同時に、もやもやした気分になった。だが、一号が言いたいことはわかった。それが正しい答えかどうかはわからない。それよりは、僕たちが追い出したと思う方が正解だろう。

でも今は、何となく彼女は、この憤懣やるかたない気持ちを一夜の恋に費やそうとしている、と思いこむ方がずっと、僕の中の彼女のイメージに合致していた。それは、そうであってほしい、というささやかな願望なのかもしれない。

「連れの男に見覚えあるんだよね」

見たことない?と今度は問われて、深く考えもせず首を振る。

「俺たちのライブを遠巻きに見ている奴らだよ。ナンパ目的で、時々来る奴らの一人だよ」

一号の甘いマスクのおかげで、僕らのライブには比較的、女性の割合が高かった。高松でも有数の歓楽街が近いということもあるし、もう少しいくと駐車場が密集する中に一軒だけ歩いて入ることのできるラブホテルもある。瓦町の駅前から流れて、通り過ぎる意味でも、これからどこかへ繰り出すにしても、ちょうど通り道で僕らは賑やかにやっている。そこで、女性が集まっているから、当然、それに誘われてパートナーを求める男たちも集まってきていた。

そいつらは僕らの歌を聴いているフリをして、チラチラと他の客の顔を伺っているのでよくわかる。特に僕らは定点観測しているようなモノだから、常連というか、よく見る顔というものも何となくわかるものだ。

ただ、一号がそういう男の観客がいることを知ったのは、同じようにライブを見に来ていた女の子に聞いたからで、その女の子とどういう状況で話を聞いたのかは、察して推し量るべし、だ。いわば、歌のこっち側もあっち側も、男ってやつは、ということなのだが。

一号の話が正しければ、僕のささやかな願いは、かなりの確率で叶うことになる。きっと今頃、といくつかのホテルの入り口と名前を照らし合わせてみる。ああ、あそこのホテルにはスヌーピーで埋め尽くされた部屋があったな。

それに比べて、僕は彼女にも振られ、ユキちゃんにも振られたのか。

イヤ、ユキちゃんにはまだ、振られてないぞ。一号には振られたけど、ユキちゃん本人はまだわからない。

僕はそんな風に思って、不覚にもニヤリと笑ってしまった。

 

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