「そんなに痛かった?」

やっと一号が、起きあがらない僕を気遣った。呑気な声をしている。僕はその声に、更に憤慨した。

そもそも、一号が彼女の手を掴まなければ、こんな痛みを被ることもなく、彼女も不愉快な思いも残さなかったはずなのは間違いない。きっともうコレで、彼女は僕らのライブを見に来ることはないだろう。もしかしたら上得意の観客を失ったのかもしれない。

それどころか彼女の中の僕の記憶は、最悪抹消で、そうは簡単にはいかないから、抹消するまではひどく毒々しい色で染め上げるはずだ。きっと彼女はその手管をよく知っていて、またバラエティに富んでいるような気もした。経験上、そう言うことが平気でできる類の女性に見えた。

同じように、僕の中の本当の淡い記憶、妄想の種も、最悪の結末で泥にまみれた。僕はもう一度、最後の最後まで、何か事態が好転してあわよくば彼女と本当にデート?的なことを想像していた自分を、ひどく恥ずかしく思った。お気楽な野郎だな、と自分で思った。

そして、やっぱり、と思った。

ただ、こうして、一号が彼女の手を掴む、という今となってはひどい思い出も、きっと何かにケリをつけた。ひどい話ということでオチが付いた。三味線鐘太鼓(なりもの)が鳴って、舞台袖に入る時間だ。

あるいは、彼女の中で最悪の部類にはいるとはいえ、記憶の中に刻まれたことは確かで、ブラック・リストでも、そこに記帳されることはもしかすると、とても貴重なことなのかもしれない、なんて思う。もっとも、それもお気楽な考えではある。第一、彼女はきっと、僕の名前は知らない。

でも、ライブをたまたま見て、そしてその後の人生の一瞬の交点だけで、僕の中に記憶は残り、彼女の中では全く記憶のスペースすらも与えられないよりは、まだマシ、とか思う。僕はその一方通行の矢印に、やりきれない思いになるのだ。繋がっているようで、繋がっていない。人と人との関係の、一番淡い部分を、僕らは案外後生大事にしていたりする。それはとても哀しいことに思える。

我慢できない人たちが、言葉を作り、何かを伝える術を考えた。それは物語になり、手紙になり、会話になり、そして歌になった。そして言葉を残し、物語を残し、歌を残す方法を追い求めてきた。できるならば、永遠に近い記憶の手前まで、長く残り続けるように。

そんな世界の片隅に住む僕らは、淡い繋がりをよりはっきりとしたモノにしたくて、何かを伝えている。それが僕らが歌をインターフェースにしている所以だ。歌を唄い、誰かに何かを刻む。そうやって記憶の中に僕という存在を残す。忘れさせないために歌うのだ。

ただ、それだけ。

でも、それが報われないことも、何となく知っている。だから、さっきみたいな彼女の態度は、僕らは慣れているはずなのだ。あんなにあからさまな結果は珍しいけど。

ただそこには、格好良く見られたいという欲望が隠れていて、そういう意味ではただのわがままだ。僕の存在のいい部分だけを知っていてほしい。願望としては正当だけど、誰かに自分を強く刻みつけるのに、それでいいのかという疑問はある。

それでいいとも思うし、あえて考えないようにしているところもある。

そういう点からすれば、少なくとも一号は、彼女に何かを刻みつけるために行動に出た。確実に彼女の手の感触を、一号はしっかりと感じ取り、彼女も一号の力強さをイヤでも知ったに違いない。僕のことは忘れても、きっと一号のことは忘れないだろう。

だから、一発逆転があるとすれば、きっと一号の方なんだろうな。

彼女の敵愾心は、一号に向けられ、あの短い時間でも、必死の形相で逃げようとしていたのは、一号からなのだ。僕はただ、外でガヤガヤと戸惑っていただけで、最後に流れ弾に当たってかわいそう、というだけなのだ。

僕と一号の違いは、きっとそこなんだろう。

何かを伝えたければ、首根っこを捕まえて自分の方に振り向かせ、目の前鼻先数センチで大きな口を開けて大声で伝えればいい。事の軽重などは関係なく、それが自分にとっていかなる意味があるのかも関係なく、とにかく自分のテリトリーに飛び込んできた伝えたい相手の手を、まず取るのだ。

僕にはあんな風に、傍らをチャンスの女神が通り過ぎようとしていても、きっと手を出すことはできない。

それはとても乱暴で、今のご時世、全くの時代遅れだと思う。でも、案外、こういう時代にはそういうガサツさが突破口になるのかもしれない。みんな何かに怯えたまま、うずくまって時間をやり過ごすことで人生が終わる。それがどんどん積み重なっていくのが、今というリアルな現実だ。

世界を変えるとか、ブレイクスルーとか、そういう大いなる力は、案外野蛮人の手に委ねられているのかもしれないな、と思う。

だって、日本の歴史をざっと見てみると、歴史上の偉人はみんな、軍人ばかりだ。一般人や、学校の先生が歴史の教科書に載っているのを見たことがない。僕らは必死で、小学生の頃から軍人の名前を覚えさせられている。

そんな力の源が、結局理性とか、熟慮とかの範囲には存在してなくて、本当は荒っぽいモノが身体を突き動かし、ずっとわだかまっている部分を軽く飛び越えていくような、そんな気がする。

僕は結局、一号にはかなわないな、といつも思う。僕はきっと、そんな才能もないのに熟慮や理性を後生大事に抱えている人間で、だからきっとガサツにはなれない。そもそも彼女の手を取る、なんて大胆なことは思いつかない。

そんなことあり得ない、とハナから諦めていて、たとえばそんなドラマチックな展開が用意されていても、それを信じようとしない。どこからか漂ってきて、いつの間にか染みついた常識とか、普通とかいう感情が、それを許さないのだ。

奇跡が、この世の中に存在していることは知っていても、それは自分とは関係ないと思っている。あっちの世界の話で、テレビの向こうの世界の話で、きっとネットで流布しているただの都市伝説だと信じている。目の前で一号が実際に彼女の手を取っても、冗談だろ?と思っている。あり得ない、と思っている。

でも、実際に手を取るやつがいて、そして、そこが僕と一号の違いで、ユキちゃんが僕ではなく、一号の傍らに寄り添っている所以なんだろうな、と思う。

僕の敗北は、結局そこに行き着いて、深い溜息を僕に吐かせて終わる。

 

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