もぉ〜、離して、と彼女は手を揺すり始めた。激しく、子供みたいにブランブランと上下左右に振る。それでも、微笑を浮かべたままの一号は、手を離さないし、何も言わないし、彼女を見つめたままだし。

事態が好転しないことを悟ったのか、彼女は振り返って僕の方を向いた。手を掴まれたままだったので、肩越しに僕を省みるような感じだった。また髪がふわりと浮いて、サラサラと反対側の肩へと滑り落ちてゆく。うっすらと、香水のなのか、シャンプーなのか、いい匂いが漂う。いつかどこかで、誰かに逢った時に同じ匂いを嗅いだような気がする。それがバラの香り、だと記憶しているけれど、間違いかもしれない。

彼女は振り返るが、全く力にもなりそうにないのを感じたのか、あっけなく再び僕に背中を晒した。押しやられたというか、見限られたようになった僕は、それよりもこっちの方から何か、やめなよ、とかそういうアクションを起こした方がいいのか?と慌てて考えた。

逡巡していると、一号は、彼女の手を軽く引っ張った。カクン、と彼女の方が前のめりになるが、それほどきつくもなく、反動をつけて反対側に逃れようとする。一号はそれも軽く引っ張っただけで、受け流す。

「いい加減に離してよ、何?何なの?」

完全に怒っている。それでもまだ、僕は逡巡している。

「あのさ」

ようやく一号は声を発した。一号はまぁ、十人受けするイケメンであると同時に、さすがにボーカリストとして鍛えているだけあって、よく通るいい声をしている。高くもなく低くもない、だがしっかりと芯のある太い声だ。クリアで、滑舌もいいから、不思議と言葉が耳に心地よい。

おそらく、一号はそれを十分自分の武器だと心得ていて、そしてたぶん、武器はタイミングを見計らって、という気でいるのだろう。今この期に及べば、一号の言葉を、彼女はじっと聞くしかない。同時に、僕も耳を澄ませた。

「いやね、こいつがサ、君とデートしたい、って言っているんだよね」

そういって、僕の方をあごでしゃくって指す。ただ、視線は彼女の瞳を射抜いたままだ。

彼女はとても不思議な行動をとった。まるで、蛇に睨まれた蛙のように、彼女も一号の方を見つめたまま、動かないのだ。あごでしゃくられた僕を、見ようとしない。

代わりに僕が彼女の方を見る。というか、ずっと見てはいたんだけど、ちゃんと視線を合わせようと用意したが、結局、それはチラリ、と瞳だけが動いただけですぐに終わった。コレ?と確認する、みたいな本当の一瞬のぞき見たような感じだった。

「君、今日、俺たちのライブ、見に来ていたよね」

「ライブ?」

やっぱり気づいてなかったんだな。と思った瞬間に、僕の中でいくつかあった淡い妄想の種が消える。消極的なアイテムが、希望を押しのけてゴロゴロと集まってくる。

彼女は半身で後ろに引き気味で、一号を見ていたが、ライブ、の一言で顔だけ突き出すように、一号をまじまじと見た。一号は、瞬きもせず、彼女を見続けている。一号はなんだか、肝が据わった余裕のある表情で、淡々と事を運んでいるように見えた。

やっと気づいた彼女は、ああ、と小さく頷いた、が、やはり半身で逃げる気配は解かない。

「その時に、君、パンツが見えていたんだよ」

やっと一号はそういって、ふっと表情を崩した。あからさまにフフっと鼻で笑う。彼女が緊張というか、羞恥というか、とにかく受け入れがたい話題を出されたのに、ひどく狼狽しているのが、後ろから見ていてもわかった。肩がわずかにふるえている。髪の間から覗く頬が、紅潮しているのにも気が付いた。

「それが目に焼き付いて離れないんだって。だから、誘っているんじゃないかってね」

そう言って、今度はクックックッと一号は笑って、やっと彼女から目を逸らす。話題が完全に僕の方に回ってきて、そして明らかに僕は分が悪い。下手をすると、だからこんな強引なことをやらされているんですよ、という方向に発展しかねない。そんな気がして、僕は途端に慌て始めた。やっと自分のスタンスに気がつく。

やはりコレは、彼女を解放する方向で。

 

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