それでも僕は席を立った。さっきまで緑の炭酸ジュースが入っていたカップを手にしてスタンドに向かう。ジュースを選ぶフリをして、スタンドの端まで行き、偶然を装ってその向こうを覗く。

向こうには窓際にずらりと対面式の、テーブル席が並んでいる。その向こうの突き当たりは壁になっていて、そこでは大きな薄型のプラズマテレビがかかっていて、そこで映画の新作案内をしていた。

そのテレビのすぐ下に、彼女はいた。暗がりで見た時よりも、いくらかほっそりした気がする。セミロングの髪が、微妙にカーブしていて、あああんな髪型していたんだ、と僕は思った。なんとなく、路上ライブの時は、髪を後ろで束ねていたような気がするが、良く覚えていない。

彼女は僕には気が付いていないが、僕には彼女の表情はよく見えた。その視線は、当然向かいにいる誰かに向けられている。なんだかうっすらとした笑みを絶やさない。明らかに、会話の中に集中している表情だ。その相手を僕はなんとなく探ってみる。

答はわりと簡単に見つかった。僕はそれを確認すると、透明な炭酸をなみなみとコップに注いで、零れないように足下に細心の注意を払って席に戻った。

「カップルじゃん」

席に戻って僕がそういうと、一号はまたクスクス笑った。確かに、一号は、彼女がいた、としか言ってはいない。

「ライブの時は一人だと思ったんだけどな」

僕は憮然として、炭酸もかまわず一気飲みした。一号は相変わらずクスクス笑い続けている。

ひとしきり笑い終えて、自分もやっとコーヒーを啜ると、でもさ、といいながら遠い目をした。

「何?」

「あの子、どこかで見た事があるような気がするんだよな」

ライブじゃないの?と僕が聞くと、そうかもしれないけど、覚えている絵が違うんだよな。といってもう一口、コーヒーを啜る。一号は猫舌で、そのくせ、なんでも暖かい物は限界まで熱いモノを所望する。それが商売であり、自分に合わせて冷ましたり、食べやすくしたりするのは、消費者の自由、なんだそうだ。逆に冷たいモノは、どうでも良いらしく、ドリンクバーでも氷を入れずに液体だけを汲んで来る。

一号とはもうかれこれ、十年近いつきあいになるが、未だ理解不能な所がある。そもそも、僕はそういうのを探るのは苦手で、例えばNGワードみたいな、付き合う上で、最低限のルール的な事を探る事は一応やるけれど、人間をちゃんと把握するという作業をどうしても億劫に感じてしまうのだ。

そういう奴は、得てして接点で物事を語る。人間関係をシステマチックに捉えて、連結出来る部分のみで繋がっていたい、と望むのだ。その端緒さえつかんでいれば、それ以上のモノは必要ないと思っている。典型的なオタク的つきあい方なのだ。

そして、相手はなるべくスペシャリスリトの方が楽だし、社交的な、人間的に出来た奴の方が楽だ。自分の拙さを許容してもらえる相手の方がイイと思う。

一号はまさに、それに最適の人物だと思う。一号は、確かに女性にはだらしない所はあるが、それも普通と言えば普通だし、常識を弁えて、逸脱する事はない。でも、羽目を外す事を知っていて、一方でストイックな面も持っている。その上に、女性にマメで他人受けする甘いマスクを持っているとなると、もうこれほどの人格者はいないだろう。

僕はその前で、コンプレックスの塊でいられる。それが、逆に心地イイのだ。そういう身の置き場が、僕にはふさわしいとなんとなくいつの頃からか思っていて、僕はハタチそこそこで一号と出逢ったが、なんとなく予感というか、仲良くなっていた方がイイと思ってことさらバンドの中で、一号と特に親しくなったのだった。

僕はたぶん、女性に対しても同じような部分を求めている。それが、付き合っても長続きしない根本的な理由なんじゃないかと思っている。解っているのに、そういう場に身を置きたくなるのは、結局、楽なのだ。誰かの本に、人間の快楽には二種類あって、支配する快楽と、支配される快楽があるのだ、と書いてあった。支配する方は、何もかも自分の思い通りになる代わりに責任が生じる。支配される方は、自分で考えることなく快楽を与えてもらえるが、自由とは皆無に等しい。

その中間、というより、両方を行ったり来たり出来る便利な乗り物が、コンプレックスを御旗に掲げた船なんだろうと、最近思う。僕は楽をしたくて、意図せず、とても小ずるい乗り物に乗ったのだろうと思う。ただ、そのずるさは、簡単に露呈して、たぶん女性ならなんとなく、肌で感じる違和感があるんだろう。

 

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