ただ、それは決してユキちゃんの代用ではないんだ、と僕は自分に言い聞かせる必要があって、それがいつも、僕の中の意欲の種火を吹き消そうとする。自分の気持ちが大事、なによりも優先すると強弁出来る人はきっと、それによって引き起こされる軋轢を覚悟出来る人なんだろうと思う。何をするにも、今の時代いくつものリスクがあって、良い事をしても、どんなにありきたりな事をしても、それはきっとむき出しのリスクの上に成り立っている。覚悟を過剰に要求される時代なんだろうと思う。

僕の気持ち、それが一号のパートナーであるユキちゃんへの横恋慕、という方程式を解くのに、自分優先モードを使ってしまうと、僕はたくさんの大事なモノ、取り戻せないものをなくすはずだ。それは充分にわかっていて、それを乗り越えようとしないのは、そもそも、僕のユキちゃんへの思いは、それほどまでに強いのだろうか、という疑問がくすぶっているせいのような気もする。一号を見ながら、いつの間にか僕は、ユキちゃんも一緒に見ていた。だから、一号ありきのユキちゃんが、僕の中で横恋慕の対象になっているんじゃないか。

横恋慕という感情自体が、今僕の最大の夜のオカズなんじゃないのか?と時々思うのだ。

そうでないと、妄想の中に一号を登場させるのは、どうしたって歪んでいる。つまり、僕はユキちゃんではなく、もっとユキちゃんの女の部分の一機能に、スッと入り込めるカギを手にした気になっているだけなんじゃないのだろうか、なんて思うのだ。いくつかのめんどくさいマニュアルを、ここからここまで省略OKで、それはちょっと楽チンだね、ぐらいの意識で、ユキちゃんを想っているんじゃないのだろうか。

救われないな、と思う。

そして結局、パンチラのあの子だって、そのマニュアルをすっ飛ばしてOKの類で、昂揚しているだけなんだろうな、とどこかで解っているから、僕は躊躇するのだった。

 

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