一号の淹れてくれたコーヒーは、未だカップに半分以上残っていたが、僕は席を立って、ドリンクバーに向かった。未だ湯気の立つコーヒーを流し込みながら、一号に奇跡の測道の在処を詳細に聞いた。聞けば当然、僕自身が確認したくなるモノだが、僕はどこかに躊躇を残していた。

そもそも、目の前でパンツが見えていた、というだけで、見せていた確証はおろか、今となっては果たしてアレはいわゆる隠しているはずのものが見えた類のモノか、あるいはそういうモノが見たいと願った末に見えた、見間違いなのかもしれないというような横やりも入ったりして、それ以前に、だからなんなんだ、という根本的な疑問すら僕の中で矢継ぎ早に路上の鉄柱となって生え伸びその先の展開を遮っていた。

ただ、あらゆる偶然や、その状況から推測される全ての条件の中の、かなり分が悪く影を潜めている、うっすらとした桃色に染まっている希望を、僕は早とちりを承知で縋っているのだ。それは、たまたまテレビのドラマを見ていて、セクシーなシーンを演じている女優が、なんとなく頭から離れず、手持ちぶさたに検索サイトで女優名、半角スペース、ヌード、と画像検索する時の感じに似ている。その先にぼんやりとした希望を抱いてはいるが、だからといってそれが叶わなかったとしてもいささかの憤慨も失望も何もないのだ。

彼女は僕にパンツを見せた後、路上ライブが終わると、ギターケースにギターを仕舞っている内に見えなくなった。まさに、通りすがりにちょっと寄ってみた、という感じの観客だった。そういう人がほとんどで、だから普段は特に気にも止めない。通勤の時にクルマから見える通りすがり女子高生よりも印象が薄い。

それが、二度、奇妙な偶然を演出して相まみえるというのは、その先を妄想するには充分だ。そういう稚拙さは、冷静になるとばからしいが、その最中は紛れもなくそれが世界の中心になっている。まったくもって、どうしようもなく幼稚な性質だけど、僕はそういうばかばかしさが嫌いではない。巻き込まれて、あっけなく終わっても、僕は充分に楽しめる。

だから、言うほどに気分は昂揚してないし、偶然の神様に感謝をするほど調子にも乗ってなかったが、僕はその小さな出来事にどっかと腰を据えたのだ。

おそらく、彼女の容姿が印象に残らないほどに普通だったら、どうでも良かったと思ったかもしれない。彼女は、それなりに、見栄えのする顔立ちをしていた。僕は女性の顔を見ると、どうして目を見て、そして鼻とのバランスを無意識に観察してしまう変な癖がある。顔を合わせると、目を見るというよりは視線に射抜かれる感じで、僕はそれに耐えられずにかわすために下方へ目をやるのだけど、通り道が流暢に流れていると、僕の記憶の回路が反応するのだ。

もっともそれは、胸元のいわゆる谷間と呼ばれる影に吸い込まれていって、少々の鼻筋など、多少の瞳の茫洋さなど掻き消される可能性は多分に秘めている。

そういう観点からしても、彼女の見栄えは印象的だった。二重の瞼に眦がスッと切れる誘われる眼をしていて、鼻筋にかけてその細い直線が何ともいえず美しい。その先で大きくもなく小さくもない小鼻がクチビルの上にちょこんと乗っていた。全体に、タテのラインが印象的な顔立ちをしているが、全体的にはふっくらとしていて、未だ若さの残るそのバランスが絶妙だった。

幼いのではなく、若さを感じさせるのは、きっと無防備さから来る印象なんだろうな、と思う。ユキちゃんも一緒で、幼さであけすけな所とは違って、通過儀礼のような経験を、一通りすませた後で、急に目の前に現れただだっ広い砂漠に唖然とする無防備さだ。

年を経るうちに、女の子との会話が、何をしてみたい?から、アレした事ある?の方へシフトしていくモノだ、と仕事場の古参の先輩が言った事があるが、その箇条書きに八割方印が付いた状態で、次なる「何か」をぼんやり探している状態。そんな時、人は受け身になるので、自然とどこかに隙が出来るんだろうと思う。

その結果が、僕の目の前にパンツを晒すという行動になったのかどうか、そもそもそれが意識的なはず無いのだけど、だったら余計に、僕はその無防備さに、期待を抱くのだ。

 

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