それから一ヶ月ぐらいで、一号は家を出ていった。一号は甘いマスクのお調子者、という外見の印象とは裏腹に、仕事というか、食い扶持を稼ぐ事には堅実だったから、いつの間にかちょっとしたアパートを借りるぐらいの貯金は持っていた。栄養士の資格を持っているとかで、老人ホームの栄養管理とか何とかの仕事を、こっちに来てから一度も辞めずに続けていて、その職場に近い所という事で、宇多津に決めた。未だ大学に通っていたユキちゃんは、善通寺市内のアパートを出て、これからは電車通学、とはしゃいでいた。

二人の姿は、そのまま幸せの形のような気がした。それは、悔しいけれど憧れた。そんな事、僕は一言も口には出さなかったが、でも、目の前に現れた幸せの形を、僕はそのまま自分の理想に移し替えた。悔しいけど、理想になってしまった。

それ以来、今に至るまで、一号とユキちゃんは別れていない。ずっと続いている。一号はずっと歌い続け、老人ホームもそのままで、アパートもそのままだ。ユキちゃんは大学を卒業して、就職ではなくビブレにアルバイトを決め、変わらず一号の食事の面倒やら洗濯やらをずっとみている。

だからといって、あの頃の、あの幸せなままの毎日がそのまま続いているわけではない。でも、二人は別れない。危機がなかったわけでもない。一触即発のピンチをなんとか回避したことも、一度ならず知っている。

そのほとんどが一号の目移りであり、浮気がばれる、という類の有り触れたモノだ。ユキちゃんが知っているより多くの、一号に纏わる女性の数を僕は知っている。それならいっそのこと別れればいい、と僕などは思う。

でも、ユキちゃんが別れないのではなく、イヤ、それも当然あるのだけど、一号も、全くその気はないようだ。平然と、ユキ以外の女は全部浮気、と僕の妹に言ってのけた事があったそうだ。それも全く悪びれず、当然のように言ったようだ。血の気の多い妹は、その一号の態度にくってかかったそうだけど、それにしても、僕にもその一号の割り切り方が、解せなかった。

一度、ユキちゃんが泣きながら、僕のケータイに電話してきた事がある。雨の夜、観音寺の駅前にいる、と涙声のユキちゃんは言った。どうやら一号とケンカして、家を飛び出しそのまま宇多津駅に止まっている電車に乗ったのだが、それが特急だったらしく、丸亀で降り損ねて、観音寺まで行ってしまったらしい。

僕は雨の中、ユキちゃんを迎えに行った。彼女はグレーのくたびれたジャージ姿で、良くそんなラフな姿で電車に、しかも田舎のJRの特急に乗ったな、と思ったが、とりあえず、車に乗せて僕は家に戻った。家に着くまでずっと泣き続け、家に着いたら、今度は一号がケータイに連絡してきた。

とりあえず、一晩うちに泊める事にして、互いを了解させた。ユキちゃんを風呂に入れ、寝ていた妹を起こして、服と寝床を用意してもらった。

少し落ち着きを取り戻したユキちゃんから話を聞くと、それはもう有り触れた浮気の発覚であり、ユキちゃんが怒って当然だとは思ったが、一号をずっと知っている僕、男の僕からすれば、まぁそういう時もあるんだよね、と言いたくなるような、本当に有り触れたモノだった。

ただ、ユキちゃんはどうしても一号を謝らせたい、とか、一発殴ってやりたいとか、どうしても許せないとかまた思い出したように声を震わせて涙をこぼすのだけど、一度も別れる、の一言は口に出さなかった。別れてやるとか、別れるしかないとか、本気でなくてもそういう言葉は、こういう状況の時の常套句のハズだけど、それを口にしたのは、側で聞いていた妹だった。

それなら別れなよ、と妹は言葉を放り投げた。ユキちゃんとは別に、突き放したような言い方にひどく重いものが混じっていたのには少し驚いた。それ以上に驚いたのは、その言葉に、ユキちゃんは首を振ったのだ。それは絶対にない、あり得ない、とでも言いたげな、断固とした拒否だった。

妹はそれきり呆れたように何も言わなくなった。僕は、たぶん未だ混乱しているのだろう、と思って、とりあえず今日は遅いし、という事でお茶を濁した。

翌日僕は一号に逢って、謝るように諭し、一号もそれを受け入れ、二人は元の鞘に戻った。それはもうなんというか、あっけない幕切れだった。

僕の所に駆け込んだのは、その日限りだが、後大学の友達の所とか、極めつけは実家のある松山に帰った事があった。もうダメか、と話を聞いた僕などは思ったが、当事者の一号は、どうやって謝ろうか、という事ばかり話して、もうこれがデッドエンド、という雰囲気でもなかった。

そして、数日後に、ユキちゃんは一号の元に戻った。

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