最初の頃、一号とやっていたバンドの曲を、アコギ一本にアレンジして歌ったり、メタリカのLOADに収録されている曲とか、ソナタ・アークティカとか、アーチ・エネミーとかのリフを弾き、それを一号が普通に歌って遊んでいた。そのうちに、オリジナルを見よう見まねで作ってみた。その時もやはり、僕がリフを弾き、それに合わせて一号が適当に歌うのだけど、そこら辺に散らばっているチラシを手に、そこに書かれた定価やら特価やら商品名やらを歌っているウチに、なんとなく曲みたいなモノが出来た。

僕はこっちに帰ってきて親戚の叔父の紹介で地元の配電設備の会社に就職した。叔父は現場で電柱に登ったりしていたが、僕はパソコンで配電図を設計していた。と言っても、経験も知識も全くなかったので、最初はトレースから初めて、徐々に細かい事を先輩に教えてもらった。

その仕事で、何度目かのボーナスをもらった時に、僕はICレコーダーを買った。それに僕のリフと一号の唄を吹き込んだ。何度も聞き返して、形を定めて、それを僕は楽譜に起こし、一号は決まった歌詞を書いていった。

そうやって出来た初めての唄を、妹に聞かせた。ちょうど、泥沼の離婚闘争を終えて、一人娘を元旦那に盗られて呆けていた妹は、良いんじゃないの、私解らないけど、と言った。それには僕も一号もなんだか、拍子抜けしてしまった。でも、胸の内にポッと灯った高揚感は、そのまま創作意欲に繋がった。

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