名古屋で僕らはセコセコバンド活動に勤しんで、特にバンドのリーダーがバイト先の楽器屋の先輩で、おまけに自分の作る音に絶対的な自信の持ち主だったので、毎日忙しく追い回されて時間が過ぎていった。その頃僕らは、ちょっとヘヴィなメタルっぽい、パンクもかじっていながらメロディアスっていうようなオリジナルをやっていた。曲も詞もそのリーダーが作り、僕らはそれを演奏するだけだった。メンバーは他にもう一人のギターと、ドラムがいた。その五人でライブハウスを回りながら、何度か東京や大阪にも行った。

でも、なんとなく忙しいのが辛くなってきた。未だ、プロを目指す、というような目標があったのでやれていたけれど、その目標自体が薄らいできているのも感じていた。今考えると、元々僕の中に突っ走る、とか、熱い血潮が漲る、というようなモノに欠けていたのだろうと思う。僕はただ、ギターが上手くなりたかっただけだった。

一号はその頃からひょうひょうとしていて、反発するでもなく、かといって協力的でもなかった。例えばライブに向けての練習のスタジオ予約の予定を話し合っている時でも、用事があるとかこの日がイイとか一切言わなかった。決まったら、ハイ、といって時間になるときちんとやってきた。時々メンバーの誰かが欠席して練習が延期になると、それはそれで嬉しそうにそそくさと帰っていった。

だから明確に意志を示したのを僕が見たのは、僕が実家に帰る、と言った時が最初かもしれない。着いていきたい、というようなことを漏らして、とにかく実家を出たいんだ、と本当に嫌そうな顔をした。父親が酒で云々、という話を聞いたのだけど、それはきっと一号だけの問題で、僕が立ち入っていい話ではないと思ったので聞くだけ聞いて詳しくはすぐ忘れた。僕はただ、イイよ、しばらく居候すればいいよ、とだけ応えた。

結局、それから僕と一号と、出戻りの妹の三人で長いこと住んでいた。一号がユキちゃんと出会って、アパートを借りるまで、その生活はずっと続いた。

実家に帰ったばかりの頃は、メンバーを集めて、またバンドをやったりしていたが、気が着くとなんとなくスタジオから疎遠になり、僕は一号と、ギターと唄でチャカチャカやってばかりになった。

それから路上で歌うのが流行りだして、例えば丸亀の通町とかなら、本当に人がいないから、緊張しないんじゃないかっていう軽い気持ちで、流行に乗ってみたりしたが、本当に人がいなかったし、だからといって旧国の方まで移動したら今度はクルマがうるさかった。なので、富屋町の方へ移ると、近くのスナックのお姉さんとか、風俗がらみのお嬢さんには受けたが、すぐにヤクザが寄ってきて退散することになった。

それで高松にまで出向くようになって、そのうち一号はこっちに来て何人目かの恋人として、ユキちゃんと出会って僕の実家を出ていった。でも、やっぱり週末は顔を合わせて、ギターでチャカチャカやって、結局これが僕らの絆なのかな、とか思ったりする。

これまでたくさん、音楽以外の話とか、その大半がお嬢さんのことか、それに纏わるスケベな話で、それでも時々この世界を憂いてみたり、未来の希望の在処とか、この夜の存在の真実とかを、極々たまに話してみたりしたけど、結局は、音楽で繋がっているんだろうな、と思う。音楽で出逢い、明日を思い、今日を歌う。かっこよく言えば、それが僕らなんだろうな、と思う。

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