VAINのマスターは、二年前に今の場所に店を出した。それまでは、琴電長尾駅から少し入った所で長年スナックをやっていたが、再開発に引っかかり、今度はレインボーロードの辺りとか、瀬戸内町とか、点々として、結局知り合いから今の場所を譲り受けた。そもそも、寂れていた所の、また見つけにくい二階、という立地条件は、もう後十年踏ん張れば年金生活、というマスターの目にも、先行きを不安にさせた。

そこで、客寄せに、というよりも客引きに、僕らに白羽の矢を立てたのだ。たまたまその日は、一号のノドの調子が悪く、唄はそこそこに、ハープに持ち替えて、長々とセッションをしていた。3コードのリフに合わせて一号はブロウアップしたり、チョークしたりする。ロバート・ジョンソンはクロスロードで、悪魔に魂を打ってブルースギターを極めたけど、高松なら田町の交差点に青鬼がいつもいる。僕らはショーマンシップを世話好きの青鬼に分けてもらうんだ。

演奏は元々、目を惹くほどの卓越したモノはないけれど、南新町のアーケードでは、マスターのソウルには僕らが一番響いたらしい。演奏を終えた僕らに、店の前で歌ってくれないか、とそのまま連れて行かれた。その日は、店の中で打ち合わせというか、駐車場の手配とかその辺の話し合いをして、次の週の金曜日、歌う前に、そこの階段を上がるとVAINという店がありますから、どうぞ一杯引っかけていってください、と一言添えるのが唯一絶対的に守らなければならない約束で、そのフレーズを目の前に立っているマスターの顔に投げかけて、僕らは歌い始めた。

最初は誰もいない、放置自転車のサドルに向かって歌うのは、緊張もしない代わりに、おもしろみもなかった。でもマスターは乗り気で、歌い終わるとまた来週も、また来週も、と笑顔で僕らを誘った。マスターの尽力や、僕らの数少ない友人の輪を駆使して、そのうち、少しだけ人は増えた。回数を重ねて行くと見知らぬ人も、立ち止まるようになり、やがて決まった客が付くようになった。曲を始めると、小さな拍手も届くようになったし、放置自転車は相変わらずだったけど、そのサドルに腰掛けて耳を傾ける若い女の子の光景が当たり前の風景にもなった。

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