「それで、バッチリ、パンツが見えてたんだよ」

僕は話の結末として、そのフレーズで長話を終えた。長話と言っても、結局パンツが見えていた、ということをテーブルの向こうに座る一号といつも呼んでいるあいつに、ただ伝えたかっただけで、それ以外に時間がかかったのは、ソコに辿り着くまでの僕の説明が、たどたどしく、且つ、回りくどく、且つ、どうでもイイ装飾がいっぱい付いていたからだ。それは、今日に限ったことではなく、いつものことで、当然一号も良く知っていて、だから?という顔も特にしない。

一号とは、僕がハタチになったばかりの頃に、初めて逢って以来、ずっと一緒にいる。その頃僕は、名古屋の楽器店でアルバイトしながら、熱心にバンドをやっていた。そこで、知り合った先輩の紹介で、バンドに引き入れたのが一号で、なぜだかその頃から一号は、既に一号と呼ばれていた。

一号と初めて逢った時も、そして今も、僕はギターを弾いている。その横で、一号は唄を歌っている。それもずっと変わらない。弾く曲も、歌う曲もずいぶんと変わったが、何故か、僕のギターに合わせて、一号は唄を歌う。僕以外のギターでは歌ったことがない。僕も、ギターをやり始めた頃の数年以外、一号の唄のバックでギターを弾いている。

腐れ縁だ、とお互いに思っていて、もう既に、それを口にするのも気恥ずかしい。それほどにずっと一緒にいることに、なんとなくどうしようもなさというか、いい加減ごめんだね、という気もしないでもないのだけど、やっぱり俺達は決まって週末になると、顔を合わせる。俺はギターを持って、一号の部屋までクルマで迎えに行き、いつもの場所へ行く。

そこは、高松市内の長いアーケードをずっと行って、田町の交番を瓦町の方に折れて少し行った曲がり角を、ライオン通りに向けて戻った辺り。昔はOPAとかがあったし、もう少し行けば古馬場の歓楽街というか、香川で一番賑やかな場所も近いから、人通りも結構あって、それなりに明るい場所だったのだけど、今はもう寂れてしまっている。夜九時を過ぎると、週末でも辺りが暗くて、時折酔っぱらいが通るか、スケーターとかガラの悪い中学生ぐらいのヒップホッパーもどきがウロウロしているぐらいで、未だ瓦町の辺りは電車もあって、明るい溜息が充満しているのに、その道はもうただの通路になってしまっている。

その路上に小さなスピーカーと、ジャズコーラスの120Wを並べて置いて、その上に腰掛けて一時間ぐらい、二人だけで唄を歌う。ジャズコーラスには僕の持っているタカミネのPTシリーズの一番安い奴を突っ込み、もう一つのスピーカーには、一号が持つシュアのハンドマイクを突っ込んである。でも電源は入ってあるけれど、ボリュームはそれほど上がっていない。パブリック・アドレスしないと声が通らないほどの道幅でもないし、喧噪もない。生のギターの音と、一号の声だけで充分。だから、それはある意味、舞台セットみたいなモノだ。スピーカーと、ジャズ・コーラスを出して、ごちゃごちゃ配線して、スイッチを入れて、という儀式のためのモノだ。

その儀式の最後に、ちょうど一号が腰掛ける辺りの隣に「VAIN」と店の名前が刻まれたスタンドの明かりを点ける。明朝体のVAIN、という文字がグリーンに点灯すると、僕たちのステージが始まる。

VAINは僕たちが歌っているちょうど真上にあるパブで、傍らに伸びているまるで隙間のような路地を入るとすぐに急な階段があって、そこを登るってやっと辿り着く。僕らが歌い始めると、その真上の店の窓からマスターが覗いていて、僕はいつも一曲目の前に必ず一度はそっちを見上げるようにしている。

そのマスターが、二年ほど前に、僕たちに声をかけてきた。その頃は、もっと広い南新町のアーケードの下で僕らは歌っていた。他にも何組か、いわゆる路上組が点々としゃがんで、思い思いに歌っていて、僕らもその中の一組だった。定期的にそこで歌っている路上シンガーがほとんどだったけど、僕らは時たま歌うぐらいだった。何故かというと、僕らはそもそも、高松とはずいぶん離れた町に住んでいるからだ。高松に出るには、クルマで一時間、11号線をのんびりと走り、二四時間のパーキングを探さなくてはいけない。毎日は無理でも、毎週歌うぐらいは出来そうなモノだけど、歌うことに既に何の希望も持たなくなった僕らには、ひとときの快楽以外に目的は見いだせなかった。

気が付くと、僕らは当たり前に三〇歳を過ぎていた。僕らはつい最近までその事に気が付かなかった。気が付かないフリをしていたし、気が付かなくても生活には何の支障もなかった。僕たちの楽しみは、挙げればせいぜいギターを弾き唄を歌うことで、それ以外は、簡単に優先順位が付けられ、上から順番に諦めることが出来た。音楽は別格、というより、もう呼吸の一形態みたいなモノで、それを忘れることすら忘れているのだ。

だからといって、まだまだがんばってプロを目指すとか、音楽の力で世界を変えるとか、そういう望みを抱いているわけではなく、また音楽が目標でもない。音楽はただ、僕らの中に流れていて、当たり前にあるだけだ。僕らは生きることを、すなわちギターを弾くことや、唄を歌うことと勘違いしている。だから音楽は辞めない。でも、他に何かあるわけでもない。

だいたい、目的は他から風のように流れてくる。他人がうるさく言うことで覚醒することもある。

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