節電の夏。

そんな世間の風潮に抗うように、僕の部屋の冷房はさっきから唸りを上げんばかりにフル稼働している。冷房の仕掛けられた壁にかかった小さな時計に湿度計と温度計が一緒に表示されているが、それが今日の昼前からもう三十度を超えていて、窓を開け放しても風が入ってくる気配もない。

僕の家では原発が爆発する前から、節電に気を遣ってきて、それはただ単に環境とかそういうことを考えたわけではなく、家の電気代の無駄を省くためで、節電は別に天下国家のためではなく、小さな我が家の節約の趣が大きい。だから、今更電力会社や県庁から廻ってきている広報車がうるさく云わなくても、節電は昔から常識なのだ。もっとも、彼らはそれ以上にもっとやれ、といっているのだろうが、それに抗うのには別の理由もあるし、その理由を見つめるのが大人の嗜みであるとさえ思っている。

そもそも、嘘ばかりを並べる電力会社や、行政の使いっ走りの広報車よりももっとうるさいのが、一緒に住んでいる出戻りの妹で、節約の陣頭指揮を執っている。その、電力会社や行政よりも少なくとも家で強権をふるっている妹が、いつの間にかその小さな時計に着いている温度計が、28度を超えたら扇風機を回して、三十二度を超えたら冷房使用OKというルールを作った。そしてルールを頑なに守るように、兄である僕を厳しく指導したのだ。

家計簿と食事の世話を一手に握られている兄としては、家計の半分は負担していても、何故か妹にうるさくいわれると頷いてしまうのが、おそらく家族というものが連綿と築いてきたパワーバランスの結果なんだろう。

ほぼ40歳の僕と、ふたつ下の妹の間にも、そのバランスは厳然としてある。

不思議なのは、それを無理をして壊そうと思わない所だ。きっとこれが他人の関係だったら、嫌なら嫌と云うはずだろう。僕はなるべくならそうして生きてきた。でも個々の事象に不満は述べても、総体としてのその力関係を、壊そうとしないのが、それがきっと、兄妹のなせる技なんだと思う。

 

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