ケーキ、とモモちゃんが言い出したのは、目の前に瀬戸大橋に繋がる高速の入り口が見えた頃だ。いつも高松の路上で、スナックの客寄せに路上で歌った帰り、一号と立ち寄るファミレスが見えた。僕はそこで随分痛い思いをして、それ以来行っていない。

鼻が詰まったモモちゃんはグスグス言いながら、もう一度、今度ははっきりとケーキが食べたい、といった。

だったらファミレス寄る?と僕が言うと、モモちゃんは髪を振り乱して頭を横に振った。モモちゃんは夏の頃、一度バサリと短く髪を切り、それが今肩を隠すぐらいに伸びていた。それがバサバサとシートと窓を叩きながら、盛大に揺れる。

DEARのケーキ、と半ば叫ぶように言ってから、苺のショート、と僕に押しつけるように言い放つ。DEARというレストランのスイーツは、女性に人気が高い定番だ。モモちゃんも例外ではない。高松や善通寺にいくつか店があって、僕と一緒にいる時だけでなく、モモちゃんは一人で食べに出かけることもある。その中でも特に、苺のショートがお気に入りなのだ。

まだ開いてる?と僕はカーステレオの液晶画面に浮かんだデジタル表示の時計を見やる。

知らない、と駄々っ子のようにモモちゃんは言って、それからもう一度、でもケーキ。

そんなに早く閉まる店ではないのは知っているけれど、時間的には微妙だ。もし開いていても、ケーキがまだ残っているかどうか、分からない。それよりは出来合でも、ファミレスの方が確実だが、きっとモモちゃんは承知しないだろう。

浜街道が宇多津に入ると、そこだけ夜に潜んだ点々とする明かりのおかげで、なんだか賑やかになる。店はほとんどがもう閉まっているし、建ち並ぶマンションの明かりもおおかた消えている。それでも、自動販売機や、看板を浮かび上がらせる照明や、細々とした光が雨に濡れたアスファルトに映えてまっすぐに伸びる道路を照らしている。

水しぶきを上げて隣を輸送トラックが走り去っていく。ヘッドライトに浮かんだ見慣れた企業のロゴが、どんどん遠ざかっていく。

DEAR、無理?とモモちゃんは聞いてくる。さっきよりはいくらかトーンが落ちている。

僕は今いる場所から、一番近い店を頭の中で検索し、そのルートを大まかに辿る。

大丈夫、と返事して、とりあえず行ってみることにする。ラストオーダーは何時だろう?

僕は宇多津の街明かりを抜けていく。

ねぇ、とモモちゃんが言った。その声の響きは、いつも僕と普通に会話している、いつものモモちゃんの声だった。その声に安心をする。

今この一瞬だけは、恵子さんのことも、フュージティブのことも、ライブのことも明日菜ちゃんのことも全部、どうでも良くなる。

ねぇ、もし、私が恵子さんみたいに、といってモモちゃんは言い淀んだ。

恵子さんみたいに?と僕は聞き返す。

事情はよく知らないけれど、恵子さんみたいな立場に私が置かれたら、あんな風に説得してくれる?

その問いを聞いて、僕はやっと緊張が解けた笑い声が漏れた。モモちゃんの不機嫌の核心が、目の前にくっきりと浮かんでいて、その出口も示している気がした。

僕が争いごとが苦手なのは、その出口が見えなくなって凍り付く瞬間に、いつまで経っても慣れないからだ。僕はだいたいそれを、そのままにしてやり過ごすけれど、それは何の解決方法でもない。時間が押し流すのを待つだけだ。

出口に促す誘いの手を差し伸べられたことなど、今の今まで一度もなかった。

僕は、もちろんだよ、と応える。

本当?とモモちゃんは今日初めて、僕の方を好意的な瞳で見て聞き直した。

当たり前、と僕が言うと、どうなんだか、とモモちゃんは口をとがらせた。

でも、その表情は柔らかで、もう窓の外へ顔を向けてしまうこともなかった。

雨が随分と強くなって、ワイパーが追いつかない。自ずとスピードが落ちて、僕らは暗闇の中に閉じ込められたような気がする。二人きりに、ようやくこの時間になって、と僕は思う。

でも、まだ今日は終わっていない。

ケーキが待っている。

甘くてやわらかな生クリームに包まれた、苺ショートが待っているはずだ。

 

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