他人が怒っているのを目の当たりにすると、僕は思い起こす「モノ」がある。それを初めて見たのは、確か小学生の頃で、その頃はまだ丸亀に家があって、親父がやっとの思いでローンを組んで建てた二階建ての家に住んでいた。

その「モノ」はある日の夕刻、仕事から帰ってきた親父が、夕餉の食卓に座って待っている僕と妹に初めて見せた。テレビではNHKの子供向けの情報番組をやっていて、僕はそちらの方が気になっていたけれど、親父はたいそうな袋に包まれたそれを手にしながら、わざわざ僕と妹の名前を呼んで目の前に置いたのだ。

親父が座るのは家の真ん中にある四畳半の部屋の、一番東側の太い柱の前が定位置で、親父の右手側が僕と妹の席と決まっていた。まだ一品も並べられていない食卓の上に、親父はその「モノ」が収まった袋を置いた。そして待ちかねたように煙草に火を点けてから、その袋から取り出した。

出てきたのは黄色味がかった肌色をした奇妙な形の石だった。石と一目見て分かるのはその色と、表面にぶつぶつしているモノがびっしりとこびりついていて、何か人の手が介在している雰囲気がなかったことと、親父がもつのその手の動きで、大きさに比べてどっしりとした重みが感じられたからだ。

石は薄く平たい板状のモノが不規則に、いろんな方向から絡み合って一つの形をなしていた。中心に何か塊があって、そこにいくつもの板が突き刺さっているような印象だった。突き刺さっている部分が一塊になっていてそれは鋭角だが継ぎ目がなく、ざらついた表面が連続して続いていたから、その中心部分から板が生えているようにも見えた。

真横から見ると、その板一枚がひどく薄く、先端は鋭利にとがっていたり、のこぎりの歯のようにとげとげしていたり様々だった。全体的に柔らかく触れる感触ではなく、ゴツゴツとして威嚇しているように見えた。実際に触ってみても、ざらついた石の感触と、先端の鋭利さで、後日、何かの拍子に妹がそれで指を切ってしまった。

石だということは判っても、それは普通に庭に転がっていたり、土器川の河川敷にあるようなものでもないし、テレビでも雑誌でも見たことのない、奇妙な存在だった。暫くの間、親父は僕たちに見せるというよりは、自分がしげしげと眺めていて、それを僕たち兄妹が横から眺めている、親父も含めてみんなで観察しているような感じだった。

夕食が出来てお袋が後ろから、なんですかそれ、と声を掛けてやっと、仕事でお土産にもらったんだ、と親父は応えた。

そして親父は俺と妹の方を見ながら、これは砂漠の華、というんだ、と云った。

親父は大手の造船会社の経理を担当する一介のサラリーマンだったのだが、同僚が中東へ出張に行った際にそれを土産に持ち帰ってきたらしい。何処の国か、また中東という地域自体、当時の僕や妹には皆目見当がつかなかったが、砂漠のある国というだけで、遠く手の届かない場所を想像させた。

砂漠に雷が落ちると砂がこんな風になるらしい、と親父はもう一度グルリとその砂漠の華を回して説明した。百八十度回転させて初めて、その石が半分に切断されているのが判った。そこだけすっぱりとなめらかな切断面があって、中心部の塊が透明なガラスになっていた。

僕はその石の中心が透明になっているということが不思議で、思わずわぁ、と声が出た。それを聞いて親父は、綺麗だろ、と言って満面の笑みを浮かべたのだった。

砂漠の華という「モノ」自体、僕が知っている情報はその形状の記憶と、砂漠に雷が落ちると云々、という以外に、その真偽も含めてよくは知らない。後日調べたこともない。その砂漠の華自体、もう何処に行ってしまったのかも判らない。妹にも聞いたことはないし、きっと妹はその記憶も曖昧かもしれない。

それでも、目の前に不機嫌な表情をして、今にも罵詈雑言を吐きそうな雰囲気をめいっぱい漂わせている人に出会ったりすると、直ぐにその砂漠の華の形状を思い出すのだ。目の前の怒っている人の胸にうっすらと、そのとげとげとした板状のモノがいくつも不規則に突き刺さっているその砂漠の華が、透けて見えてくるような気がするのだ。

妹が砂漠の華で指を切ったように、僕もそれに触れると怪我をする、と本能的に距離を取ろうとする。それが叶えば問題は無いが、そうはいかないのが現実ってモノだ。だいたい、その矛先は砂漠の華が見えている自分に向いているから、それが見えるのだ。

しかも、その砂漠の華が透けて見えていても、僕には何の役にも立たない。

 

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