分厚くてやたらと重そうな雲が、まさしく自分の頭の上に落ちそうな気配をオレはぼんやりと見つめていた。ぼんやりとしているのは、オレの視力がこのところめっきり落ちてきたせいだけではなく、オレの周囲から立ち上る湯気のせいで、おまけにその厚い雲からハラハラと落ちてくる雪のせいでもあった。

せっかく寒さを避けて、九州の温泉場にやってきたのに、オレの住んでいる街ですら降らない雪が、なぜココで降る?

雲が太陽を隠し、雪が音もなく風もなくただ地上へと落ちるせいで、辺りはひどく静かで、そして色がない。オレは、露天風呂に浸かりながら仰向けに寝そべっていて、ほとんど首から上しか湯面から出さずに、漂うように身を任せて空を見上げているのだけど、鈍い鼠色の雲へとグラデーションするかのように、露天風呂自体も殺風景で精彩を無くして続いている気がした。

降り落ちてくる雪は、オレの額の少し先で溶けて消えてゆく。立ち上る湯気が薄いベールのように視界に覆い被さっているように、雪は一定の距離で消える。その様子をひたすら眺めているのだけど、それにしてもひっきりなし、飽きもせず、雪は次から次へと落ちてくる。

その雪を見ていると、不意に星降る夜、というようなキーワードが、本当に全く脈略無く思い浮かんで、それがいつしか懐かしい記憶を呼び起こした。

高校生の頃、月に一度の割合で学校で夜通し星を見る、という合宿があったのを思い出した。確か、理系の部活動の一環で、オレは当時、文化部なら何処へでも顔を出していたので、その繋がりで参加していた。何しろ、その合宿には女の子の部員も参加していて、ちょうど日付が変わる時間にNHKのラジオを聴きながら天気図を描く、というめんどくさい作業を我慢すれば、いわば現役の女子高生と一夜を明かすことになるのだから、今考えても本当に希有な活動だったと思う。今のご時世でも続いているのかどうか分からないけれど、オレはその時その時代、高校生だったということを、その一点だけでも誇れる気がする。

その合宿は、当然雨が降ったり曇りがちの予報でも中止になるのだから、実際に参加したのは何度かぐらいしか覚えていない。だから、余計に参加した日のことはよく覚えていて、一晩中夜空を見上げていると、何かしらハプニングが起こった。学校の屋上には、ドームを備えた望遠鏡があったんだけど、そのドームが真夜中に動かなくなったり、何物か分からない三角形に並んだ光が音もなく頭上を走っていったのを、その時参加していた全員で見て騒然としたこともあった。

全員といっても、その当時参加していたのは多い時で十人ぐらいで、男女が半々ぐらいだった。オレはその頃ちょっとばかりカメラに凝っていて、親父のお下がりの一眼レフをいつも持ち歩いていた。デジカメ、ケータイカメラなんて夢のような時代だった。その一眼レフがまた年代物で、シャッターが機械式だったのだけど、それが星空を撮影する長時間露光に最適、というので、合宿では主に撮影担当だった。三脚に固定して、星が丸く移動する様子を撮したり、自転に合わせて回転する専用の機材が学校の備品にあって、そこにカメラを据え付けて一つの星に狙いをすましていたりした。

そういうのは一度機材をセッティングすると、しばらくはじっと待っているのが常で、一応どういう状況だったか、トピックがあればメモしたりするのだけど、だいたいは開始時間と天気、終了時間を控えればそれで終わりだった。

確かそれは秋がずいぶん深まって、そろそろ今期の合宿も最後、という日だったと思う。何があったかは今はもう覚えていないけれど、マニアックな天体ショーと流星群が重なった時で、もうそろそろ夜が更けると寒くなるので夜通しの観測はきつくなるのだけど、多少の無理を押して合宿は決行されたのだった。

案の定、厚着をしていても日付を超えて、音も消え入る深夜になると、寒さは身体に染みるようになった。せっせと撮影を続けていたオレは元から寒さに弱い。だから、早々と機材を片づけ、階下の教室に帰りたくて仕方がなかった。

しかし、当時同級生の女の子たちが数人参加していて、その子たちが毛布にくるまって流星を数える、とか言いながら結局はキャッキャキャッキャ言いながら騒いでいただけなんだけど、屋上に寝そべって楽しそうに空を見上げていたのだった。

オレはほんの出来心で、一緒にオレも流星を数えるぞ、なんて言ってその隣に横になって、寒いから毛布をよこせ、なんて隣に寝そべる女の子がかぶっていた毛布を引っ張ったりした。冗談が言えるぐらい、そこに居並ぶ女の子たちとは仲が好かったんだけど、最初は本当に、ただの冗談で、冗談のつもりだった。

その日は寒い代わりに空が澄んで、本当に星が綺麗な夜だった。そういう合宿に参加していたぐらいだから、何の助けも借りなくても星と星を繋げて星座のシルエットを想像できるぐらいはお手の物だった。すっかり様相は賑やかに明るい冬の星座に取って代わっていて、その間を糸を引くように星が流れていくのを見ていると、いつの間にか時間を忘れていた。

ただ、寒さは確かに森々とオレらを浸食してきていて、毛布から出ようとする者はなく、真っ暗闇の中で、寝ちゃダメだ、なんて言い合って笑いながら、オレたちは空を見上げていたのだ。そのうちに、毛布の引っ張り合いになり、いつしかそれは、互いの身体を密着させるという様相を呈していったのだった。

口ではキャーキャー冗談を言い合っている、女の子たちに同調しながら、暗闇に紛れているのをいいことに、毛布の中のオレの手はひどく不埒な考えを持ち始めていた。ほんの出来心、というにはそれはもう、ほぼ犯罪と言っていいほどの思惑を抱いたオレの手は、気が付くと隣の女の子の胸の辺りをまさぐっていた。

相変わらず口数は減らないのだけど、ただオレの手と心臓だけが全く別の意志を持って蠢いていた。もちろんそんなことを言いながらオレ自身はちゃんと自分のことを把握し、その劣情を満たそうとしていたのだけど、一方の隣の女の子も、拒否するでもなく、また声を上げるでもなく、何か言葉を発するのは冗談口に同調する戯けた様子であって、やはり彼女も、オレの手を受け入れている、という事実を他の参加者にはひた隠しにしたままだった。

それに味を占めたのは、まだまだ童貞の思春期真っ盛りのオレだから仕方がない。その手は徐々に彼女の・・・。

 

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